のりきさん、私のことを「誠実」そうに思えると書いてくださって嬉しく思いました。私は自分が人に対して誠実で思いやりのある人間でありたいと思って生きてきましたし、そう考えて仕事もしてきました。私が息子に対して教育してきたことも、一つは「人に対して誠実で思いやりのある人間になりなさい。」ということで、もう一つは「努力が大切」ということでした。ですから、息子が上司に叱られてひどく落ち込んでいたあの時も私は息子に「人間誰だってミスはしてしまうものなんだから、同じミスを繰り返さないように努力して頑張って行けばいいのよ。」と諭したのです。素直な息子は私の言うことをすぐに理解してくれました。それに息子は私に「お母さんに苦労は掛けたくないから、ぼくは就職する。お金を稼いで、お母さんを少しでも楽にさせてあげたい。」と言ってくれるように、私の教育の甲斐があってか、息子は「人に対して誠実で思いやりのある人間」に育ってくれたと思っています。私はのりきさんのレスの文面から、のりきさんも「人に対して誠実で思いやりのある人間」である方のように感じられました。私がこの掲示板を見るようになったきっかけは、息子とセックスをしてしまったことでした。私は息子とセックスをしてしまいましたが、息子が元気になったのだから、これで良かったのかも知れない、と書きましたが、その時思ったことはあくまでも「これで良かったのかも知れない」と「かも知れない」と感じたにすぎず、「これで良かった」と断言できるほどの自信はなかったのです。私は母親と息子でセックスをすることが決して良いことだとは思いません。世の中の母親と息子さんのほとんどは、親子として愛し合っていても親子でセックスまでしてしまうようなことはないように思えます。なぜならやはりそこにはタブーと言うものがあり、母親と息子がセックスをしてしまうことは、理性のある人間であるのに、動物のメスとオスに成り下がり、本能のままに性器をはめ合い性の快楽に耽ってしまうことで、それは、ふしだらでいけないことであるという社会通念があるからという理由が大きいように思えるのです。私も息子とセックスをしてしまい、これでいいんだろうか?と思う社会通念に反している後ろめたさをぬぐい去ることが出来ず、近親相姦について知りたくなり、ネットで「近親相姦」と検索しましたら、この掲示板に行き着きました。ここには多くの近親相姦に関する体験談が書かれてありましたので、私はとても興味を覚えました。私が関心がありますのは母親と息子でセックスをしてしまういわゆる「母子相姦」と言われているようですが、母子相姦に興味があり、母子相姦に関する体験談、特に、私と同じ母親である方達の体験告白を、過去の投稿までさかのぼっていろいろ読んでいるうちに、私は次のようなことを感じたんです。初めに感じたことは、世の中には私と同じように息子とセックスをしてしまった母親が結構いるのね、私だけじゃないんだわ、と思い、安心しました。そして息子さんとセックスをしてしまった告白をいろいろ読んでいると、いくつかの共通点がよくあることも感じました。それは母親と息子でセックスをしてしまう場合は①「親子で普段から仲が良く、信頼し合い愛し合っている場合が多いこと」②「あるとき、きっかけはいろいろあるにしても、年頃の息子さんが母親の女の体に欲情してしまい、母親に抱きついてきたこと」③「母親は抱きついてきた息子さんをとっさには拒みつつも、息子さんを愛しているので結局は拒みきれず、体を許してしまうこと」④「一度許してしまえば、親子でセックスをする興奮と快感が忘れられず、やめられなくなってしまうこと」⑤「母子家庭のような母親と息子さんで二人で暮らしている家庭に多いこと」(これは、逆に言えば、母親に旦那さんがいて、 母親が旦那さんといつもセックスをしていて母親の性欲が満たされているような場合は、 息子とセックスをしようとまで思うような母親は少ないからなのではないかと思いました。)そしてこれら①から⑤のことはすべて私の場合にも当てはまるのです。それから、母親の方達の告白を読んでみると、みなさん、プロの文学作家が書いているわけではなく、素人の女性が書いているのですから、文章が決して文学調の格調高いような文章ではなく、説明調な学校で書くような作文的な文章が多く、書き方や文体が、よくあるような書き方、似ている文体が多いとも感じました。それは普通の女性が書いているのですから、趣向を凝らした文章が書けるわけでもなく、よくあるような一般的な普通の書き方、似ているような文体になるのも自然かと思いました。それから、話の内容も似ているような話が多いとも感じました。それは、内容が要は母親と息子でセックスをしてしまいましたという話に過ぎず、セックスというものは誰も同じことをするわけで、
...省略されました。