母との事です。
母の典子は56歳。35歳の時に父と結婚して、翌年に僕が産まれます。父は会社員でしたが、実家は祖母が小さな餅屋を営んでいました。
嫁いだ母は、祖母に教わりながら、その餅屋を継ぐことになります。
ところが、僕が9歳の時に父が病気で亡くなります。それでも母は実家には戻らず、祖母とこの餅屋を守ることを決めました。
『母は美人か?』と聞かれれば、きっとイエスです。身体は細いのに顔が少し大きいので、アンバランスに思えるかも知れませんが、美人の部類だと思います。
真面目で物静かな方で、男をたてるタイプ。苦労人って人です。下ネタは嫌いなので、バラエティー番組はほとんど観ません。そんな母です。
『母に興味があったか?』と聞かれれば、これもイエスだと思います。遅い出産で産まれた僕を、母はとても溺愛してくれたと思います。
そんな母を、中学まで『ママ。』と呼んでいたのは、そのせいかも分かりません。高校になると、その母が美人であることに気がつきました。
近所のおじさんが『典ちゃん見たさに、買いに来てるようなもんや、ワシは。』と言っているのを聞かされ、それは確信に変わりました。
かといって、『母をどうにかしたい』とかにはなりません。実際、母と息子です。そんなのは妄想の世界であって、冷静に考えればあるはずのない事です。
そんな時期でした。祖母は87歳なっていていました。老化で体力も落ちてしまい、腰も曲がってしまって、餅屋の現役は引退。
その年に、階段を踏み外して骨折。高齢のため、治りも遅く、ほぼ寝たきりになってしまいます。ますます体力が落ちてしまい、ほぼ病人状態でした。
お婆ちゃん子だった僕は、祖母にいつも寄り添っていました。特に何もする訳でもなく、隣で座ってテレビを観ながら、祖母と話をするだけ。それだけでした。
その日も、祖母の部屋でテレビを観ていました。ところが、いつのまにか眠ってしまい、深夜になっていました。もう、朝早い母も眠っています。
隣で寝ている祖母を見ると、足が膝まで布団からはみ出しているのが見えました。好奇心が旺盛な年頃です。その祖母の姿に、興味を持ってしまったのです。
ゆっくりと布団に手を掛け、祖母の下半身が見えるくらいまで持ち上げました。浴衣の裾を持ち、ゆっくりと中が見えるように捲っていきます。
膝が現れ、肉の落ちたシワだらけの太ももが現れ、興奮しました。更にその先のパンツが見たくなり、浴衣が上がっていきます。
『!』、祖母の股間にはパンツはありませんでした。股間は、シワだらけの身体に隠されていたのですが、何も履いていないのは分かります。
シワだらけのの股間に目を凝らしました。まったくの無毛でした。まだ、女性をよく知らない高校生です。
オマンコの位置が、更に下にあることをそこで初めて知ります。
どうしても見たい衝撃にかられ、祖母の右足を持って、上に持ち上げ始めます。人間の身体というのは、思ったように出来ていませんでした。
かなり高く上げないと、股間を見ることが出来なかったのです。もう、欲求が勝っていました。僕の肩くらいまで、祖母の右足は高く上がっていました。
最初に見えたのは、二つに重なったような、それこそお餅のようなものでした。縦に真っ直ぐ入った黒い筋が見えます。
更に持ち上げると、それは広がり、その中からオマンコが現れました。AVで観るようなそれを期待したのですが、別物でした。
老化が進んだ、シワだらけのオマンコでした。興奮していた僕も『なんだ、これは?』と思って、ガッカリしたのを覚えています。
祖母も起きていました。何も言いませんでしたが、僕を見るその目は、今も忘れません。もちろん、そんなことは二度と起こりませんでした。
ただ、初めて女性の股間を見たことで、自分が少し大人になったような錯覚も覚えたような気がします。
2年ぼどアルバイトをして、結局その会社に正社員として採用されることになりました。給料は恥ずかしくて言えませんが、それでも社会人として安定します。
先輩に風俗に連れていかれ、そこで筆下ろしも済ませました。ただ、女性はどこか苦手です。
ずっと、原付バイクで移動していた僕。そんな僕に、母が『車、買う?』と言って来ました。もちろん、そんなお金などなく、母に払ってもらいました。
軽自動車ですが、新車でした。行動範囲も広がりました。それと共に、免許のない母を乗せて出掛ける機会も増えます。
主に、買い物や送り迎えをさせられました。助手席にいるのは母なのですが、それでも女性を隣に乗せて走るのは楽しいものです。
母と二人で車を走らせることが多くなり、軽自動車の狭い空間で二人で楽しく過ごす過ごし方を覚えてました。母も同じだったと思います。
二人でいるのが、普通になっていました。
『お母さん、デートいこうか?』、母を誘ったのは、何もない日曜日の事です。『どこ行くのよー。』と、言われた母も恥ずかしそうです。
『いいやん。行こう行こう。』とけしかけ、母も押されて準備をします。準備と言っても、普段着にハンドバッグを持っただけでした。