私は母子家庭で育ちました。
小さい頃は祖母と母と3人でしたが
祖母が亡くなってからはずっと二人きり
で祖母の残した小さな家に住んできました。
さて、生活ですが当然、楽ではありません
でした。幸いにも母は正社員として働いて
いましたので安定した収入はあったのですが
中学に入ると部活や塾にかかる費用で苦労
をかけました。なので高校は公立の高校に
入り、高校時代は部活はせずアルバイトで
家計を助けました。
そして母は進学しろと行ったのですが、家計
が苦しいのはわかっていたので卒業後はすぐに
就職しました。
大手の製造メーカで、入社後半年は全員寮生活
で実習をかねて工場の交代勤務に入りました。
その時、私は18歳、母は41歳でした。
5月末の金曜日、就職後2回めの給料を受け
取った私は、明日家へ帰ると母に連絡をしました。
午後8時過ぎに寮に戻ると多くの同僚が実家に
戻ったり遊びに行ったりしていませんでした。
その時何故か突然寂しさに襲われ、すぐに帰ろう
という気になったのです。
でも母さんを驚かせよという思いもあり、実家に
は連絡しませんでした。合鍵も持ってましたし・・。
寮を出たのは9時少し前、鉄道の乗り換え接続が
悪く、地元の駅についたのは深夜0時頃でした。
タクシーもあったのですが、家までは約30分かけて
歩いて帰りました。
実家に着くと家の前に見覚えのある車が止まっていま
した。時々母を車で家まで乗せて来てくれる母と同じ
職場の男性のものです。
でも家の電気はすべて消えていました。
そして家の門から入ろうとした時です。家の方から
「アア~ン、アア~ン」
という声が聞こえたのです。ドッキとした私はその場
に立ち尽くしました。すると、また母の部屋の方から
「イヒ、イヒッ、ヒーヒー、アハン、アハン・・」
そうです。母があの男を連れ込みヤっていたのです。
「ウフッ、アハ、アア~ン・・アッ、アッ・・」
その後も母の歓喜の声は続きました。
しばらくすると部屋の電気が付き、二人は寝室を出て
行きました。そして今度は風呂に入ったのです。
お湯を流す音にまじり、男女の楽しそうな会話が続きま
したが、しばらくしてやっぱり
「アハン、また乳首が固くなっちゃったわヤダ」
「それなら・・・・ブチュブチュ・・・」
「アッ、イヤ、こんなとこで・・・・そこは、、ダメ
アッ、アッ・・・イヒッ、イヒッ、ヒー、イクイク・・」
その後、深夜2時ころ、男は車で帰って行きました。
私は結局、家に入るわけにはいかず、駅まで戻り、翌朝の
7時頃までファミレスで時間を潰しました。そして7時半頃
何食わぬ顔をして家に入りました。合鍵で入るとと母はまだ
寝ていました。
私がこんなに早く戻ると思っていなかった母は、あわてて
朝食を作ってくれました。
昼少し前に母が買い物に出かけたので、母の寝室に入ってみると
ゴミ箱には溢れんばかりつめ込まれたティッシュのゴミと
コンドームの空箱が入って」いました。
それからです。スカート姿の母がしゃがんだ時に見える
パンチラで想像してしまうようになったのは。
。あのベージュのショーツの向こうにある部分を母
は、あの時、男に惜しげも無くさらけだし、さらには
チンポを入れさせ、その刺激にヒーヒーを声を上げて
いたのです。そう思うとやり切れない気持ちになりました。
また、母を奪われたような悔しさがしばらく頭から離れ
ませんでした。
あれから4年、現在、私は実家から職場に通っています。
そして母の情事を目撃して以来、母の事が気になって仕方
ないのです。そして、3年ほど前から乳がん予防という理由
で母の乳のマッサージをするようになったのです
。最初は恥ずかしがってブラをつけたままでしたが最近では
当たり前のようにブラを外して私にマッサージさせるのです。
その時、私がアソコをビンビンにさせているのを母は知りません。
最近、母に再婚の話があります。相手は、4年前の男です。
母は迷っているようですが、母の今後を考えれば再婚したほうが
良いと思いますが・・・母の体を他人に渡したくないというのが
私の本心です。母のアソコの他人のチンポが毎晩のようにブチ込
まれるのは耐え難いです。
と今日はここまでにしておきます。
母が肩を揉んでほしいと言ってますので・・
おっぱい揉んできます。