もう20年以上前の私が中学1年生の時の話をします。
母が36歳の時の事です。
母は、百貨店の化粧品売り場で働いていましたので、見た目は派手に見え
ましたが、
実際は地味で、真面目な女性であった事を最初にお伝えして置きます。
何年も前に、母は子宮癌を患い62歳という若さで亡くなりました。
父は、私が小学4年生の時に離婚し、母と二人で暮らして来ました。
学校から帰るとリビングから「お願いです。もう少し待って下さい。必ず
お返しいたしますから」
と言う母の叫び声がしてドアを開けると、ブラウスをむしり取られた母の
前に40歳位の、
サングラスをかけた、ヤクザ風の大柄の男が立っていました。
父が前に事業を始めた時の借金を返さず夜逃げし、その時に保証人となっ
ていた母に取り立てに
来たと言う事でした。
そう言えば、ここ2か月ほど養育費も振り込まれていないと言っていたの
を思い出しました。
私が母に駆け寄ろうとした時、「来ちゃ駄目!健ちゃん逃げて!」と母が
叫びました。
私が玄関の方へ逃げると、もの凄い勢いで追いかけて来て首根っこを捕ま
れ、
リビングに連れ戻され母の前に投げ飛ばされました。
それから持参してきたと思われるロープで私の足と手を縛り身動き出来な
い様にされました。
母が「子供には乱暴しないで!」と叫ぶと「お前が言う事を聞けば小僧に
は何もしねえよ」
と男が言い、母は「言う事を聞きますから」と言い服を脱ぎ始めましだ。
多分、私が帰る前までは、言われて脅されても頑なに拒んでいたんだと思
いました。
男は「チンタラ脱いでんじゃねえよ、早く脱げ」と声を荒げる。
母は、パンティだけになると、一瞬手を止めて躊躇するが、男が怒鳴ると
パンティも脱ぎ、
全裸になりました。
それから私の方を見て「坊主、おまえ女のオマンコ見た事あるか?」と聞
いてきました。
答えるのを少し躊躇しましたが「ないです」と答えました。
本当の所、中学に入り新しい友達の家で、足を拡げた女性のオマンコやフ
ァックしてる写真を
見せて貰った事がありました。
友人の父親は、遠洋漁業の漁師をしていて、外国人の写真が200枚ほど
あり、初めてそれを
を見た時は、勃起しどうしで家に帰ってから何回もオナニーをしました。
男は、「それなら近くで母ちゃんのオマンコを見て見な」と言い私の首根
っこを持って、
母の開いている股の前に引きずって行きました。
母は「健二、見ては駄目!お願い見ないで!」と、哀願するが全く聞き入
れる様子はなく、
「ここが、お前が生まれてきたオマンコだ。よく見てみろ!これからお前
の母ちゃんとオマンコ
するから、そこで見てろ!」と言いました。
母が「お願いですから、子供にそんな所を見せないで!健二絶対に見ては
駄目、目をつぶってて!」
と、気が狂った様に叫んでいたのを今でも忘れられません。
さらに男は、母のオマンコを触りながら、「ここがクリトリスで、ここを
擦ると女が感じる所で、
ここが膣でチンコを入れる所で」と母が恥ずかしくなる様に説明して聞か
せた。
そして「これからお前の母ちゃんを犯すからそこでよく見てろ」と言って
クリトリスを愛撫し、
母のオマンコを舐め回す。
私は「ヤメロ!母さんにそんな事するな!」と叫んだが、聞き入れられず
母の中に男の一物が。
男は、足が付かない様にコンドームを装着する周到ぶりで、それが唯一の
救いだった。
途中で男が何回も振り返り「坊主,ちゃんと見てるか?」と言ってくる。
10分程、経って男の腰振りが激しくなると、かすかに母の悶えている様
な小さい声が・・・。
母も犯されながら女であるが故、感じてしまったのだろう。
男もそれに気が付き「感じてるのか?」と何回も母に聞いているが、
母は、「あなたの様な卑劣な男に感じる訳ないでしょ!」と答える。
しかし、男のピッチが激しくなり最後の時、母の声が確実に感じた女の声
に変ったのが解った。
男はイッた後、「坊主、どうだった?ちゃんと見たか?これが男と女のフ
ァックだ」と言って、
私の方を見て「何だお前、母ちゃんが犯される所を見て、感じて勃起して
るのか?」と言った。
股間を見ると確かにビンビンに勃起しているのが見て解る位膨らんでいた
のだ。
私は、いけない気持ちになってしまった事に気付き「感じてなんかない」
と言ったが、
言い訳など聞かない程に、股間が盛り上がり、それ以上言葉は出なかっ
た。
母にその様子を見られた事で、罪悪感に苛まれたのだった。
「しょうもないガキだな、母ちゃんのオマンコでも舐めたり、触ってみた
いか?」と言ってきた。
黙っていると、手を縛っていたロープを解き母の前に座らせ「触って見
ろ」言い、
私の手首を掴んで母のオマンコに持って行き無理やり触らせたのだ。
母は「そんな事させないで!健二ヤメテ!」と声を上げるが、更に今度は
舐めてみろと言い、
拒んで見せると、男の平手が飛んできて私のほっぺたを思い切り叩いた。
母が「乱暴はしないで」と叫ぶと「お前が拒むから、こんな風になるんだ
よ。
舐めて母さんを犯してと言ってみなよ!そうすればもう叩かないでやる
よ」と男は言い放った。
母が「そんな事言えない」と躊躇していると、また男の手が飛んできて顔
の表面を叩かれた。
その瞬間、凄い勢いで鼻血が噴きしてきた。
母が「言いますからもう子供には酷い事はしないで」と言い、「健二、母
さんのを舐めて、犯して!」
と言ったのだ。
すると男は、追い打ちを掛ける様に、「母さんのオマンコを舐めて、オマ
ンコを犯してだろう」と
言い直す様に言ったのだった。
母は舐められている間中、目をつぶったままでいたが、「そろそろオマン
コに入れて欲しい」と
催促しろと言われ、泣きながら「健ちゃん、お母さんのオマンコを犯し
て」と言ったのだった。
「母さんゴメンね」と言って入れようとしたが、初めてだったので、場所
が解らずにいたら、
世話の焼けるガキだなと言い、私の物を掴んで母のオマンコの中に入れ
た。
初めて体験する母の中は、温かく濡れていたのを覚えている。
その最中も母は目を瞑り声も出さずにいた。
3分もすると、オナニーしている時の感じになり「もうダメ出そう」と言う
と母はイッテと言った。
イッタあとも少しの間動けずに母の中に入れたままでいたのだった。
その後も月に2度位の間隔で家に来ては、私の目の前で母を抱いた。
母も観念したかのように、いつしか男の命令通りの体位を取り、女の声も
上げる様になっていった。
何度目かの時から、2回する時には、母の肛門に入れる様になり、さすが
に経験のない母は、
最初「そこは違うわ!」と、男が間違えたと思ったのか叫んだが「ここで
やった事ないのか?」
と言いながら、肛門を舐め、指を入れ舐めて中をほぐした後、母の肛門を
犯した。
母は「そこは汚いからヤメテ」と叫ぶが、聞き入れられずに「痛い、痛い
からヤメテ」と叫ぶが
遂に肛門まで犯されてしまった。
終わった後、「これからはココも可愛がってやるから楽しみにしてい
ろ!」と言って帰った。
」
男が帰った後、横たわって売る母の股間をチッシュで拭こうとすると「母
は自分でするから」
と言ったが、聞かずに拭いてあげる。
肛門を拭こうとした時、「そこは汚いから自分で・・・」と恥ずかしそう
に言うが、
良いからと言い拭いてあげると、母の目から涙がとめどなく流れていた。
その涙を見た時、お母さんの口にキスをして、全裸の体を抱きしめてい
た。
お母さんは「健二、こんな母さんでも良いなら抱いてくれる?」と言って
今度は母の方から
キスをして来たのだ。
私が、うなづくと母は私の物を掴んで、自分のオマンコに入れたのだっ
た。
最初に男に命令されてした時以来2度目の事である。
私を気遣ってか、始めは母が下で、ゆっくりと腰を動かしてくれ、私が逝
きそうになると、
途中で腰を動かすのを止めたりしてくれた。
そして、頃合いをみて「今日は、安全日だから思い切り母さんの中に出し
て」と言ったので、
母の中で果ててしまった。
それからも男は月に2回の間隔で来たが、その度に母は、決まって男が帰
った後、
私を受け入れたのだった。
男が家に最初に来てから半年が過ぎた頃、逃げていた父が取り立て屋に捕
まったと男が来て、
そういう事だからもうここには来ないと約束をしてきた。
でも、私と母の関係は、その後、母が病気で入院するまで続いたのだっ
た。
長々と、取り止めのない話を読んで下さり有難う御座いました。健二