スーパーフリー事件が発覚して大騒ぎになってた20年くらい前、三流大の2年生だった俺たちは、バカだから自分たちも真似て、温泉巡りサークル「スパフリー」なるものを立ち上げた。
女子大生を輪姦というより、乱交サークルだった。
しかも、大学で彼氏のできないブスばかり集まった。
大っぴらに活動はできないから、活動日が決まると、PCから一斉メールを会員の携帯に送り、参加者を募り、温泉を予約した。
会員は男が20人、女が15人くらいだったと記憶してる。
乱交だから、ブスを超えるドブスやデブスも抱いてやらなきゃいけないからキツかった。
ブスばかりだったから、普通のお嬢さんが入ると大人気だった。
卒業と入学で、毎年6~7人入れ替わるから、俺もブス30人くらいとヤッた。
でも、ブス離れるとは良く言ったもんで、半年も過ぎると、ブスがブスと思わなくなって、連日誰かとハメまくってた。
ドブスとのセックス、左門豊作みたいな顔した女が裸になると、結構イイ身体だったりする。
ドブスだってマンコはついてるから、クンニするけど、クンニは顔が見えなくて、喘ぎ声だけだから、美人をクンニしてるのと変わらない。
でも、いざ挿入の段で現実に引き戻される。
左門豊作が乳揺らして、アンアンしてる姿は、一度見るとクセになるよ。
美人の喘ぎ顔より、さっきまでのブスが喘いだことで、キスできるレベルになるから不思議だった。
デブスとのセックス、恥ずかしそうに裸になると、完全に寸胴、仰向けでM字開脚させた時の太腿が、メッチャエロかった。
でも、マンコが肉に埋もれてて、指で広げないと舐められなかったな。
デブスって、腰を打ち付けると、腹が波打って、父が揺れて、あれは興奮したよ。
クビレのないボディで喘ぐブスの姿は、なんか笑えた。
デブスは、バックがきつい。
何せ乳だけじゃなく、腹もぶら下がって揺れるから、バランスを崩しちゃうんだ。
温泉旅行は月二回、隔週の土日かいさいで、毎回ほぼ半分が参加した。
参加料も結構するから、毎回というわけにはいかなかった。
部屋での乱交は、男10人、女7人くらいだから、必ずあぶれる男が出る。
あぶれた奴は、乱交の様子を撮影してたな。
部屋中にブスの喘ぎ声が響いて、音だけならハーレムだった。
大学生で性欲があったから、一晩に3~4人とハメた。
女の方が少ないから、一晩に5~6人相手にして、ヘロヘロになってたな。
乱交サークルだったから、コンドームは必須だった。
ブスとはいえ、若い女だから、大勢の女とやれたのは良かった。
卒業するとき、最後の追い出し乱交した翌日、単身パックの荷物を実家へ送った後、東京駅に向かおうと部屋を出ると、例のデブスが待っていて、
「最後の最後、二人の思い出が欲しい。」
と言われて、街中のラブホでデブスを抱いた。
波打つ腹、揺れる乳、これも見納めだなと思いながら腰を振った。
ラブホを出た後、デブスと二人でプリクラを撮ったら、メッチャ喜んでた。
デブス、東京駅まで見送りに来た。
新幹線の改札まで来て、
「あなたに会えて、良かった。最後、抱いてくれてありがとう。忘れない。さよなら。元気でね。」
「君も元気でな。さよなら。」
見送ってくれる人がいたことが嬉しくて、途中で振り返って手を振った。
デブス、泣いてた…
俺が去ることで、涙を流してくれた人がいたことを、いつまでも忘れない。
デブスと写したプリクラを見つけて、鮮明に思い出した。
デブス、元気かな…