もう30年も前の体験です。 私が小学3年生の7月1日のことでした。そのときのことを正確に記憶しているわけではありません。会話はこんなものだったろうと私が脚色したものです。
その日は小学校の開校記念日で休みでした。私はその頃夢中になっていたプラモデルを買いに行くため、家から少し離れた玩具店へ行く途中でした。 「K君、学校は休んだのかい?」アパートの前でおじさんに声をかけられました。おじさんとは、この前校庭で近所の友だちとソフトボールをしていたとき、入れてくれないかと言ってきて、すっかり仲良くなった人でした。大工か左官さんで、仕事仲間とスーパーの建物の現場に来ているとのことでした。年齢は分かりませんが30歳くらいだったのでしょうか。 「僕は学校がお祝いで休み。おじさんは休みなの?」 「雨で仕事が休みなのさ」 早く店に行きたい私に構わず、近所のおじさんが知っている子どもの名をあげて私と同じクラスかとか、担任は何というかとか私にいろいろな質問をしてきました。 「K君、家でアイス食べて行かないか?」 アイスという言葉に引きつけられましたが、私は一人でよその家に上がったことがなかったので、アパートのおじさんの部屋に入るのは抵抗がありました。 おじさんはさっさと部屋にはいると「K君、早く来ないとアイスとけちゃうぞ」とドアから呼びました。
アパートの中は入り口のすぐに小さな台所ともう一つ部屋がある狭いものでした。二人掛けの小さなテーブルにおじさんと向かい合って、大きなカップのアイスクリームを食べました。またいろいろな話をしているうちに、おじさんは私は背が大きいので5年生くらいと思っていて3年生と聞いて驚いていました。 「K君はまだお母さんとフロに入っているのかい?」実はそのとき私はまだ母とほとんど一緒に入浴していました。しかし、バレると恥ずかしいのでイヤと答えました。 「チンチンの皮は剥けてるかい?」突然聞かれてびっくりしました。 「先ちょのこと? 少し剥けてる」 「見せてみろよ」 「やだ」 おじさんはそれが大人になって剥けていないと困るので、毎日少しずつむかないとだめだと言いました。「K君は大人のチンチン見たことがあるかい?」「いや」 「お父さんのも見たことないの?」 「うん」 これは本当でした。 「お母さんのマ×コは?」 「見たことない」 じゃと言っておじさんは隣の部屋から写真を持ってきました。 それは子どもの私には強烈でした。驚くはど大きなペニスの男、黒々とした陰毛の陰部をひろげた女、互いの性器のの結合、フェラチオなど人の営みとは思えないことばかりでした。しかし、それらをセックスとして私は理解できていなかったと思います。 「チンチン口に入れるなんて汚い」 「大人になると女はチンチンをなめたくなるんだよ。K君のお母さんもお父さんのを口にいれてるんだよ」 「うそだ」おじさんはズボンを下ろして私にチンチンを見せました。「 K君も出してごらん」 私は興奮で心臓がどきどきして、チンチンもそれなりに勃起していました。半ズボンを下ろすとおじさんはTシャツを脱がせてくれました。おじさんのモノは直立して亀頭がひかっていました。そして、わたしのモノを大きいと言ってほめてくれました。私は大人に裸を見せる快感を感じていました。おじさんにベットにうつ伏せにになるように言われて、恥ずかしげもなくお尻を突き出しました。 「けつの穴に指入れてもいいかい」 「ウンコで汚いよ」 「きれいだよ」 おじさんは肛門に何かを塗って指を入れてきました。何回かの挿入は便意を催しました。 「ウンコしたくなった」 「そう感じるだけだよ。ほら親指が入った」とおじさんは空いている手の親指を私に見せました。 そして次にぬるっと肛門に何かを入れました。突然肛門に激痛が走りました。私は泣き出しました。しかし、おじさんはすぐに抜いてくれなかったので、私は肛門が裂けたと思いました。 「血が出た」 おじさんは私が泣き出したことに驚いてゴメン、ゴメンと何度もあやまりました。そして肛門を拭いたティッシュを見せて出血のないことを私に見せました。しかし、私はズキズキする痛さで切れた思ってただ泣き続けました。 帰ろうとする私に、おじさんは折り畳んだ千円札を握らせて「お父さんやお母さんに叱られるからこのことは誰にも言っちゃだめだよ」と言いました。もちろん誰にも言いませんでした。痛みはいつまで続いたか忘れてしまいましたが、肛門の違和感がしばらくありました。それから間もなくおじさんはアパートを引っ越して、私もいつしかこのことを忘れました。 そして、再びエロ写真に出会ったのは高校1年のときでした。この ときはそれで何度ヌイたか分かりません。