私は貧しい家に生まれて、高校入学と同時に某資産家の家に出されました。
資産家は四十代後半の未亡人で、大学生と高校生の娘さんがいました。
この母娘はド変態で、私は高校の三年間、生活費と学費を面倒見てもらう代わり、性奴隷でした。
資産家の未亡人で童貞を失うと、週に数回未亡人のお相手をして、それ以外の日は娘さん姉妹にペニスを悪戯される毎日でした。
手コキされて射精を観察されたり、姉妹の前でオナニー射精させられたり、男のプライドはズタズタでした。
最も堪えたのは、妹の友達の前で、ペニス苛めをされた時でした。
セーラー服姿の同年代の女子高生の目の前で、全裸でベッドの上に仰向けに大の字に縛られ、腰下に枕を入れて腰を突き出すようにされて、妹さんにペニスを扱かれました。
発射寸前で止められて、我慢汁を垂らしてビクンビクンするペニスをセーラー服の女子高生数人に見られて、激しい羞恥に見舞われました。
暫くすると再び扱かれ、発射寸前で再び止められました。
これ、マジで声が出てしまいました。
これを何回も繰り返されると、私は発狂寸前になりました。
もうこれ以上は限界という頃、手コキが止められて亀頭だけ刺激を受けました。
やられた方はお判りだと思いますが、発車寸前ですが、亀頭だけだと射精できないんですよね。
手の自由が無いから、もう、されるがままなので非常に辛いのです。
ヒイヒイ言わされて、とても恥ずかしいけれど、どうしようもないのです。
妹さんの卓越した寸止めクニックに歯を食いしばって耐えました。
射精寸前まで高められて、寸止めを繰り返され発狂寸前の私は、激しい手コキで、ついにものすごい勢いのある大量射精を見せました。
ドッピュ~~~ピュルルルルルル~~~
その様子をキャアキャア言いながら観察するセーラー服の女子高生たちの存在など、もう、どうでもよくなっていきました。
この後、射精した精液を亀頭に塗られ、休むことなく射精直後の亀頭責めを受けました。
これは悶絶させられます。
縛られていないと暴れて、とてもできない行為です。
そして何度も、勃起と、寸止めと、射精と、直後の亀頭責めを繰り返しました。
男子高校生だった私の精力も限界になり、もうフル勃起せず半起ち状態の敏感亀頭を高速刺激され、ついに男の潮噴きまで女子高生たちに見られてしまいました。
高校を卒業した私は、資産家の家を出て就職しましたが、高校の3年間の被虐体験が私の雰囲気に何かをもたらしたようで、7歳年上のサディスティックな性癖を持つOLの餌食になりました。
彼女は長谷川京子さんに似た素人離れした美人ですが、とんでもないサドでした。
単なる寸止めや亀頭責めにとどまらず、睾丸や尿道、更にはアナルも開発されてしまいました。
エネマグラでトコロテンをするまで開発された私は、23歳の時、30歳の美人OLの彼女と結婚しました。
彼女主導の性生活ですぐに井子作りして、妊娠出産期間は彼女に下半身を支配され、射精管理の下、トコロテン射精を繰り返すうち、ドライオーガズムを経験しました。
現在、結婚して13年、私36歳で彼女43歳、日常は美人妻と仲良し夫婦です。
そして夜はというと、ここ最近はセックスばかりになって調教事は彼女に生理が来た時だけになっています。
彼女が四十路になった頃から、やたら彼女の性欲が旺盛になって、夜ごと営みを持つようになりました。
四十し頃と言いますが、本当ですね。
四十代の妖艶美人を毎晩抱けて、私は満足しています。