コロナ禍の数年前、様々な僥倖が重なり、かつて味わったことのない性への開放を体験できた者です。
人は必ず一作は小説が書けると言いますが、まさに私にとって唯一書ける官能小説的な体験でした。
私は共学の中学教師をしていました。
自らが生徒の時も夢想したりもしましたが、それは教師になっても変わりません。
立場が逆になるだけで。
それは、先生と生徒の禁断のセックスです。
自分を律してるだけで、これを夢想しなかった人はほとんどいないんじゃないでしょうか。
事件になるのは氷山の一角であり、現実にはもっと横行してるものだと私は思っていますが。
私はテニス部のサブ顧問をしてました。
女子が九割の強豪校でしたが、強豪チームだからこそ内情は閉じた女のドロドロな世界だったと思います。
顧問は中年の男性教師でした。
全然女子に騒がれるタイプではけしてない。
だけど、部内では皆がこの顧問の気を引こうとやっきになってる風潮はありました。
こうした感情は渦中にいる時には気づかないもので、引退したり卒業して初めてつきものが落ちたようになるのだと聞いたことがあります。
私は一見特徴のないこの顧問は相当な数の生徒をお手つきしてると思ってました。
それなりに観察してきて根拠もあります。
ただ、いくら何股かけようが発覚しないだけの才覚があったのでしょうね。
おそらく、相手にも恨まれてない。
要はやり方つきあい方次第なのだと、私は間接的に教わっていたのでした。
だから、ひとりの男子部員の私への欲望に気づいた時、私は飛ぶことができました。
当時、お見合いを薦められていて、そうなった場合は私立の女子校に転勤になることもわかっていました。
それも足を踏み出す一歩になったのは間違いないところです。
色々な要素が重なってこれが最初で最後の禁断を知るチャンスだと自らを鼓舞しました。