恋人と別れ、就職のために大学を出たあと地元に戻った私は、夫が単身赴任中の叔母と肉体関係になっていました。
母は3人姉妹の長女で、叔母は三女、私の19歳年上で当時42歳でした。
ある日、仕事帰りに叔母と一緒になったので、社会人になった記念に叔母に居酒屋でご馳走したとき、酔って冗談で、
「叔母さん寂しかったら、俺が慰めてやろうか?」
と言ったら、
「あら、じゃあお願いしようかしら。」
と言われて、そのままラブホで叔母と甥の近親相姦をしてしまいました。
それ以来、叔母とは週1~2回、ラブホに行くようになったのですが、ある日偶然入ったSMホテルで叔母のマゾが開花して、ラブホでのプレイは、叔母のマゾ調教になりました。
SMホテルで見た拘束具をアダルトショップで買って、ついでにバイブなども買い揃えました。
ロープで縛ると、どうしても痕が残り、子供(私にとっては従妹)に怪しまれるから拘束具を使うことにしたのです。
私は、ベッドに叔母を仰向けに寝かせると、大の字にベッドに拘束しました。
ホテルのバスローブをめくると、叔母の熟した女性器がパックリ割れていました。
私は、大学時代前半に2年先輩の女子大生と初体験して、大学時代後半は処女の女子高生に性の快感を仕込んでいました。
叔母は3人目の女性で、初めての熟女でした。
人妻として使い古された女性器は、元カノ達のそれとは違って淫猥な佇まいでした。
叔母は縛り付けられると、これから訪れる快楽を期待して、うっとりした表情になっていきました。
自分の甥っ子に女性器を覗かれ、
「叔母さんのオマンコ、紫色だね。いっぱいエッチな事したんだね。」
と言われて、羞恥にイヤらしい愛液を流し続けました。
私は、幼い頃から可愛がってくれた優しく綺麗な叔母の使い古されたエロい女性器を見るたびに、嗜虐心が掻き立てられたのです。
私は、視姦されているだけで愛液を流している叔母の女性器に、バイブを突き刺しました。
すると、溢れ出す愛液がバイブを伝い、バイブの振動で飛沫になって飛び散りました。
「ひっ!ひゃぁあ!うひゃぁぁぁっ!!」
恥ずかしい格好に拘束されて、甥っ子に夫だけの筈の女性器をバイブで弄られて、足を大きく広げて喘いでいる叔母を動画撮影しました。
「ああっ、マコちゃん、撮らないで、それだけは堪忍してっ!」
口ではそう言ってましたが、叔母は甥っ子の目の前で痴態を晒すことんいよって、羞恥快楽が高まっていきました。
私は、女性器をバイブで突かれて派手な喘ぎ声を上げる叔母を冷静に撮影しました。
そんな叔母の痴態を見ていると、良妻賢母と言われた叔母もただの牝なんだなと思いました。
叔母は、首を激しく振りながら、下劣な喘ぎ声を上げ、無機質なバイブの快楽であっけなく逝き果てました。
叔母が逝っても、私の責めは終わりません。
カメラを三脚に固定し、バイブを叔母の女性器に突っ込んだまま、陰核を木製の洗濯バサミで挟みました。
「ひぎぃっ!ひぃぎぃぃぃぃぃぃぃっ!」
痙攣する叔母の左右の乳首も木製の洗濯バサミで挟みました。
叔母は、拘束された不自由な体を小刻みに震わせて、快楽の波に呑まれていきました。
叔母は、バイブでGスポットを、木製の洗濯バサミによって敏感な乳首と陰核を弄ばれながら、全身で快楽を味わいながら、エンドレスで逝きつづけて気絶しました。
叔母が覚醒したら、一度抜いていたバイブにスイッチを入れ、陰核を挟んでいる木製の洗濯バサミに振動を与えてみました。
「あ”あ”ーーーーっ! だめだめだめぇぇぇぇーーーーっ!」
逝く寸前で止める寸止めを繰り返し、
「マコちゃん、お願い、いっそ思い切って逝かせて・・・」
「ねえ叔母さん、おじさん(夫)は何人目の男だったの?」
「そんなこと・・・・」
バイブを木製の洗濯バサミに当てては離すを繰り返しました。
「あわわわわーーーーはあはあ、言う、言うから・・・あの人は、3人目よ・・・」
「叔母さん、結婚したの25歳だよね?じゃあ、初体験は?」
「そ、それは・・・高校・・・1年の時・・・」
「相手は?」
「中学の・・・担任・・・ああああああーーーーっっ!!!」
思い切り逝かせてあげました。
叔母の痴態タップリ見た私の男性器はカチカチに勃起し、早く叔母の女性器に入れたいという欲望に埋めつくしていました。
私は、陰核の洗濯バサミを外して、いつもより硬く勃起した男性器を叔母の女性器に突っ込み、激しく腰を動かしました。
叔母の乳首を挟んでいた木製の洗濯バサミが激しく揺れ、叔母はシーツを握って喘ぎ狂いました。
私は夢中で腰を振り続け、何度も逝き果ててフラフラの叔母の女性器の中に射精するまで、ほとんど記憶がありませんでした。
ハッと我に返ったときには、叔母の女性器を甥の精液で満たしてしまっていました。
叔母の拘束を解いて暫くしたら、叔母が、
「マコちゃん、あなた、中に出したわね・・・」
「ごめん、気づいたら・・・」
「叔母と甥、わかってるわよね・・・」
冷静になって、自分のしたことの恐ろしさに気付きました。
幸い、叔母は妊娠しませんでした。
でも、このままではいずれ、破滅することは予見できました。
私は、叔母との近親不倫を2年半で清算しました。
先日、叔母の一周忌が営まれました。
叔母は昨年、55歳で亡くなりました。
丁度、叔母との近親不倫を清算して10年の時でした。
先日、昔、ラブホで撮影した叔母の痴態動画DVDを見ました。
激しくのた打ち回る叔母の女性器を呵責なき折檻を繰り返した私の姿がそこにありました。
大の字で何度も逝き果てた叔母に、中出しするまで狂ったように腰を打ち付けた私の姿がそこにありました。
私は、誰にも、特に妻に見つかる前に、そのDVDをシュレッダーにかけました。
お淑やかで美しい妻は、従妹なのです。
叔母と別れた25歳の私は、当時20歳の叔母の長女と従兄妹どうしで付き合い始めました。
幼い頃から知っている仲ですが、従妹は、幼い頃に私のお嫁さんになりたいと言っていました。
叔母に似て上品で美しい従妹の処女を貰い、少しずつマゾの素質を開花させ、マゾ妻になって8年になります。
そんな妻に、妻の母親との不倫動画は見せられません。
従妹妻の調教動画は増えているのですから・・・