私の家は、かなり変わっていて、両親が子供たちの前で平気でセックスしていました。
あまり裕福でなくて、部屋数が少なかったせいもありますが、包み隠さずセックスしていましたから、私と妹の麻美も、両親を真似て裸で抱き合ったりしていました。
でも、私が小学校に入った頃から、それはおかしいということに気づき始め、わが家が異常なんだと悟り、まだ幼稚園児だった麻美に、外では言わないように言い聞かせていました。
そして両親も、私と麻美が裸で抱き合ったり、両親がするのと同じように舌を絡めてキスするのを咎めることはありませんでした。
あれは私が小6、妹の麻美が小4の頃、両親が居間でセックスしているので、子供部屋で裸で抱き合っていました。
その頃には普通に勃起するようになってて、麻美のオマンコでいわゆる素股をして、その摩擦の気持ち良さを楽しんでいました。
まだ小4でしたが、麻美も素股で感じて、私に抱きついて腰を振っていました。
そして、麻美は濡れるようになり、ヌルヌルの麻美の割れ目での素股のストロークが大きくなった時、それが起こりました。
ヌルヌルの麻美のオマンコに、私のペニスが引っかかるようにハマり、そのままズルンと中に入ってしまいました。
「いたたたたたたーーーっ!」
大きく叫んだのが両親の耳にも届き、私もあせって股間を見ると、小4の麻美のオマンコにずっぽりとペニスが突き刺さり、
「アキラ、ゆっくり抜きなさい。」
と母に言われて、ゆっくりと抜くと、処女膜が破れた血が流れました。
この日から、私と母、乳と麻美が寝るようになったのです。
私は、母のオマンコを舐めるよう指導され、その後、母のオマンコで腰使いを躾けられました。
おそらく、麻美は父にクンニされ、父のペニスを幼いオマンコで受け入れて、オマンコを解されて性開発されていたんだと思います。
約1年間、私と母、乳と麻美が寝ていました。
途中、私は精通し、母に生入れ外出しを仕込まれました。
私が中1、麻美が小5の頃、元通りになって、1年ぶりに麻美と裸で抱き合い、麻美を勲位すると小g句性とは思えぬ淫らさで感じて、私をフェラしてくれました。
その後、生で交わると、小学5年の女児が、中1の兄の生ペニスの出し入れに、まだ膨らみ始めたばかりの胸を突き出して仰け反って喘ぎました。
麻美が中学生になると、親子兄妹で入り乱れて、乱交していました。
父は、学ラン姿の私とセーラー服姿の麻美のセックスを撮影し、編集して楽しんでいました。
母と私、父と麻美のセックスも撮影して、編集していました。
当時はデジタルではなくて、8ミリビデオテープからVHSへダビングしながらの編集で、父は十数年前、それらをDVDにダビングしていました。
昨年、父と母が事故死してしまい、妹とDVDを探して処分しました。
今は、私も妹の麻美も家族がありますから、あんな動画を見られてはマズいのです。
今年の一周忌の後、実家で麻美と二人で片づけをした後、仏壇の両親の写真を見てたら、あの頃を思い出してしまいました。
「麻美・・・お兄ちゃん、お前と結婚出来たらどんなに・・・」
と言ったら、麻美が脱ぎだし、41歳の熟れた女体を見せました。
そして、43歳の私は、21年ぶりに麻美を抱いたのです。
あの日以来、私と麻美は、月に数回、実家で愛し合っています。
もちろん私は妻と、麻美も団阿讃と性生活はありますし、夫婦仲はいいです。
でも、幼い頃から愛し合ってきた私と麻美は、夫婦とは別次元の男女の愛があるのです。
血を分けた兄妹であっても、男と女、愛し合って悪いということはありません。
ただし、子供をつくることは神に反する行為ですから、中に出すことはありません。
でも、麻美を女として、愛しているから、生で交わり、お互いの愛を確か舞うことは、許してほしいと思うのであります。
兄妹で愛し合う、それは、きっと私達だけではないと思うのです。