僕は中学の途中から引きこもりになりました。
原因はいじめです。
それ以来通信制の高校に行き、大学に進学を機に寮生活になり引き籠り
から脱出できました。
引きこもりの時は部屋にヌードを貼りまくったり、食事を持ってきて
くれたり掃除してくれる母にオナニーして見せたり悲しい思いをたく
さんさせてました。
よく母を泣かせてもした。
その母がくも膜下出血で倒れました。
幸い発見が早かったので、少しリハビリが必要な不自由な体になり
ましたが、大丈夫でした。
父は会社役員で妹も大学で寮生活。
父と相談し僕は派遣をやめて母の介護に専念することになりました。
母はごめんねと申し訳なさそうでしたが、僕は母と2人の時間がうれ
しくて仕方がない感じでした。
お母さんは何にも心配しなくていいからね、僕が一生守るからねと
引きこもりの時とは違う意味で泣かせてました。
実際食事の世話をはじめ、トイレの世話やお風呂の世話は大変です
が楽しいものでした。
お風呂は特に。
お互い裸になっても自然なので裸で介助しますが、お互い照れるので
敢えて自然に目を見つめ合いながら。シャンプーしてあげたり、体を
洗ってあげたり。
ビンビンに勃起してますが、お互いあえて触れず。
母も僕に解除されて安心と喜んでくれてました。
母の髪の毛を乾かしてあげながら勃起を背中に押し付けたり。
トイレは母はつらそうでした。
僕は臭いとかも全然嫌ではなく、大の時もかゆくならないようにお湯
で手で洗いながらきれいにしてあげました。
申し訳なさと恥ずかしさでつらいという母に僕はすけべでお母さん
が大好きだから全然平気だし、何でもしてあげるからねと言いながら
笑ってました。
母は確かにエッチねと笑いながら泣いてました。
リハビリと称してマッサージするのも喜びでした。
意味ないマッサージをしては勃起させて母も苦笑い。
母の体に触るのがうれしくて仕方ない。
ご近所の目が恥ずかしいという母と車で河原にもよく行きました。
母との親子デートですね。
夜は父も帰って来るので大人しめ。
父も僕に気を遣って息抜きして来いよと財布までわたしてくれます
が、早く明日にならないかなと思ってしまう始末。
だんだん母も甘えてくれるようになり、お風呂やトイレの世話の時
にデリケートな部分を好きにさせてくれるようになりました。
引きこもりの時を思い出したのか、見ないようにしてた僕の勃起も
見てくれるようになりうれしいかぎり。
マッサージやリハビリなどもお互い裸で。
母は私にできることある?なんでもしてあげると言ってくれました。
見つめ合って口にキスしただけで満足でした。
不覚にも射精してしまい、母は笑ってくれました。
何か高校生の頃より量増えたねと。
不自由な方の手もエアコンで冷えないようにさすってあげてましたが、
ビンビンの勃起を近づけて母を見ると笑顔で頷いてくれたので触って
こすりました。
温かいねと言いながら不自由な手を動かしてくれる母にキスして
お母さんといれてすごい幸せ、嬉しいと言ってまた泣かせてしまい
ました。
お昼ご飯を一緒に食べた後、いつものようにリハビリとトイレ、そして
入浴と進めていきました。
いつもはベッドメイキングをしてあげて昼寝してもらうのですが、その
日は母とセックスしようと思ってローションを準備していました。
母をいつものようにベッドに寝かせてあげ、僕も裸で添い寝。
キスしながら愛撫し、そのまま胸を舌で愛撫してからクンニ。
いつもより長くしているので母も気持ち良さそうに喘いでくれて
いました。
用意していたローションを勃起に塗り、母のおまんこにも塗ってあげ
ると母は分かったのか、僕を見つめていいよ早く来てと言ってくれ
ました。
そのまま挿入し最初はゆっくり、段々早くピストンしていると母は
うれしいうれしいと言ってくれるので、お母さんお母さんと言いながら
見つめ合って果てました。
終わって顔を赤くして照れてた母ですが、もう一回したい気持ち
を押さえて母と抱き合ってました。
夕方過ぎに起きていつも通り父を迎えました。