私はバツ2の44歳で、父親違いの20歳と16歳の息子がいます。
8年連れ添った3人目の夫とは、去年死別しました。
私は薬剤師をしており、お給料もそれなりに良いのと、
3人目の夫が残した財産と保険金などがあり、
今のところお金には困っておらず、
3LDKのマンションで息子達と3人で暮らしています。
ここからは私のうる覚えのところもあるので、
大変申し訳ないのですが、
私が2人の息子と関係を持った経緯と、
元々Mっ毛が強かった私が、
2人の息子達にドMに調教され、
息子達の言いなり性奴隷となり、
言いなり性奴隷となってからの出来事を書きます。
去年の4月に飲み会があり、かなり酔って帰宅した私は、
夫がいない寂しさもあり、自宅でも呑み続け、
気が付いたら全裸で自室のダブルベッドの上にいて、
両脇には同じく全裸の息子達が寝ていたのです。
枕元には電動バイブやらのグッズがあり、
使用済みのコンドームもいくつかありました。
時刻は朝の6時前、それらを見た時、
私は息子達と肉体関係を持ったのだと悟りました。
そのような感覚はあったのですが、
それは夢なのだと思ったし信じたくありませんでした。
でも両脇で眠る息子達の朝起ち?してるオチンチンを見たら、
信じるほかありませんでした。
混乱する頭の中に朝6時にセットした目覚まし時計が鳴り響き、
やがて息子達が起きてきました。
そして長男が、
「お母さんの体、最高に具合が良かったよ」と言うのです。
次男は「俺、初めてだったから」と、ポツンと一言。
そのあと長男に、
「おじさん(3人目の夫)がいなくて寂しいんでしょう?」
「おじさんと毎晩のようにヤッてたの知ってるよ」
「お母さんの声大きいから丸聞こえだったよ」と言われ、
私は恥ずかしさのあまり両手で顔を隠しました。
続けて次男が、「そうそう」と言い、
俺ら「リビングでヤッてたの見たことあるし」
「しかもその時お母さん縛られてたし」
「まさかああ言うのが好きだったなんて以外」
「お母さんそう言うのが好きなんだね?」
そう言われてますます恥ずかしくなり、
「言わないで~」と叫びました。
「今日からおじさんの代わりに俺らが相手してあげるよ」
そう言われて私は息子達に押し倒されました。
「いや、やめて」と抵抗したのですが、
152cmの小柄な私では、男2人に敵うハズもなく、
キスをされ、胸を揉まれ、乳首を吸われ、
閉じた股間の隙間から指でクリを撫でられ、
息子達に愛撫され続けた私は不覚にも感じてきてしまい、
それを悟られまいと必死に我慢していました。
すると長男が「感じているんでしょう?」
「昨夜みたいに素直になれば?」
そう言って両脇の息子達が私の脚を片方づつ持って、
私の両脚を広げてきました。
露わになった私の秘部を見た長男が、
「ほら、こんなに濡れているじゃん」と言い、
私の股間をお尻からクリまで撫であげてきました。
その時私は「あっ」と喘いだのを良く覚えています。
そのあと膣に指を出し入れされた私は快楽に負け、
息子達の愛撫により悦楽にひたってしまった私。
その後の事は良く覚えていませんが、
喘ぎ声を出し、体をくねらせよがり、
愛撫だけで何度もイってたらしいです。
そして息子達のモノで膣の奥深くまで突かれた私は、
凄い乱れっぷりだったそうです。
それ以来、息子達は毎晩のように求めてきて、
私は息子達と3Pを楽しんでいました。
2週間ほど経った頃からは私を縛るようになり、
それまであまり使わなかった電動バイブやらを駆使し、
アナルも責めてくるようになりました。
リモコンローターを仕込まれたまま、
アダルトグッズのお店でバイブやらを数点買わされ、
ついでにカタログから、X字型の張り付け台と、
お仕置きギロチンチェアと言う物と、
凌辱開股SMチェアと言う拘束具を注文しました。
その頃から息子達は生でハメてくるようになり、
妊娠するのが怖かった私はピルを処方してもらい、
飲むようにしました。
そして更に2週間ほど経った頃には、
呼び方も「お母さん」から「まなみ」と呼び捨てになり、
逆にプレイ中は息子達の事を「様」付けで呼ばされ、
鞭で叩かれ、ローソクを垂らされるようになり、
先日注文した凌辱開股SMチェア等大型拘束具を使われ、
色んな体位、格好でハメられグッズで調教されました。
夜の公園で野外プレイもするようになりました。
休日の昼間にピザを出前した時は、
全裸で亀甲縛りのまま代金を支払ったりしました。
こうして徐々に調教を受けた私は、
ドMで淫乱なメス豚として覚醒していきました。
去年の息子達の夏休みには、
プレイ中に息子達が親友?を数人呼び、
束縛されていて身動き出来ない私は、
次男の親友?に代わるがわる犯されたり、
長男の親友?数人に輪姦された事も何度かありました。
息子達は私が避妊薬を飲んでいるのを知っているので、
親友?達にその事を伝えていたのか?
ガンガン中出しされました。
11月には全裸で亀甲縛りされたまま、
ブーツを履き、コートを着せられ、
前を開けたまま深夜の河川敷まで数キロ歩かされたあと、
コートを脱がされ、亀甲縛りを外され、
縄でM字開脚に縛られ、コートの上に寝かされた私は、
次男にそこで暫く1人でオナニーしていろと命令され、
長男から電動バイブを受け取りオマンコに挿入しました。
息子達は缶コーヒーを買って来るからと言い残し、
土手を上がって行きました。
私は言われた通り電動バイブを使いオナってたのですが、
その場所は浮浪者が居座る茂みの前だったのです。
それを知らずに喘ぎ声を出しオナってたら、
私の喘ぎ声に誘われた?2人の浮浪者がやってきて、
見事にその2人の浮浪者にハメられてしまいました。
私の口は臭くて汚い浮浪者のチンポで犯され、
下半身も汚らしい浮浪者のチンポで犯されました。
ピルを飲んでいるから妊娠する事はまず無いのですが、
汚らしい浮浪者の精液が注ぎ込まれるがイヤだったので、
私は「中には出さないで」とお願いしましたが、
聞く耳持たずで、口と膣にドクドクと中出しされました。
結局、1人2回づつ計4回も中出しでハメられました。
年が明け今年の正月3日間は、
息子達が親友?を代わるがわる呼んだので、
その都度玄関で私が全裸で出迎えては、
「ようこそ、いらっしゃいませ」
「私、まなみを犯して楽しんでいって下さいませ」
と言って土下座してはマンションに招き入れ、
午前中は長男の親友?達にハメられ、
午後3時から夕方までは次男の親友?達にハメられ、
夜は夜で息子達に調教されハメられていました。
コロナ渦になってからは来訪者や外出、
野外でのプレイが減ったものの、
3月に購入した凌辱M字開脚診察台なる物と、
長男がDIYで大型犬用の犬小屋を改良した、
手作りの?三角木馬での苛めが増えました。
最近では普通の椅子やテーブルに私を拘束し、
「イカせ地獄の刑」と称して媚薬を飲まされたあと、
身動きが取れない私にローソク垂らしながら、
私のオマンコとアナルをバイブで責めてくるのです。
そして何度もイカされ続ける私が、
失禁するまで終わらないのです。
こうして私は調教され凌辱の限りを尽くされ、
息子達の完全な言いなり性奴隷と成り果てました。
長文、長々と失礼しました。