私は文才などかけらもありません。
ただここに私の人生を残したいだけです。
私は1982年には結婚をしていて二歳になる女の子もいました。
私は普通のサラリーマンでした。が、あの当時の趣味のオーディオにお金を注ぎ込み
簡単に買えるクレジットで数百万の借金に膨れ上がりました。
もう、どうにもならず借金から逃げたのです。妻を捨てて子供を捨てて。
あの頃の言葉で言えば蒸発です。
私は臆病者で辛いことにはいつも逃げていました。
妻がいない時に娘を親戚の家に預けて蒸発したのです。
その時の記憶は今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
おとうさんは買い物に行ってくるね。と、バイバイと手を振っていました。
それから逃避行です。
次の日にはサラ金から50万円を借り入れ。
JALの航空券を買って何も考えずアメリカに旅立ちました。
初めてのアメリカ。右も左もわかりません。
アメリカに着いてか情報誌を探し当て何とかアパートも探し仕事も不法就労ですが仕事も見つかりました。
その間、知り合ったタイの女性と結婚、二人の子供もできました。
何年か過ぎた頃、妻は膠原病になり亡くなりました。
子供も成長し自立したので日本に帰国しました。
日本に戻りある日のこと私はメッセンジャーに気づきました。
四か月後の事でした。
日本の横浜に住んだことがありますか?
探している人がいます、間違いだったらスルーして下さいと。
私はすぐにこれは置き去りにした娘だとわかりました。
私は返事を書きました。
横浜には住んでいました。娘の○○がいました。
娘からのメールはお父さんなんですね!
私の名前を憶えていてくれてありがとう。
そこから私と娘のドロドロの人生が始まります。
何度かメールをした後、新横浜で再会しました。
改札口で抱きしめ、思わずキスをしそうになり我に返りました。
はっと我にかえりいかんいかん!
その後、二人でビールを飲み簡単な食事を済ませ私は新幹線でアパートに戻りました。
何度かメールをやり取りした後、私は泊りで娘に会いに横浜に行きました。
私のホテルに娘は来てくれました。
夜景が綺麗な港未来のホテルです、私は思わず娘を抱きしめキスをしてしまいました。
2月12日の事です。