母がそれを打ち明けたのが、私の高校卒業後のお祝いに
ラブホテルでした。
『あのね、アトリエヌードのモデルと絵画教室のヌード
モデル、それと時々頼まれたのが温泉地の部屋で・・・
お座敷ストリップでも脱いでいたの、もちろん見せる
だけよ、それ以上はなし・・・・・』
母はパイパンで人気があったそうです。毛は全然なく
つるつるでした。母の体は均整がとれてスタイルもよ
く、オッパイを赤ちゃんの様に吸っていた、裸は見せても
男は受け入れず、亡くなった父以外は私だけと貞操を守り
その一線は超えることはなかったと正直に答えてくれた。
この日午前中からラブホテルで、オッパイも好きに吸わせ
おまんこも開いて教え、舐めたり吸ったりも好きにさせて
くれた、硬くなったペニスも咥えてくれてました。
おまんこに入れるのも誘導してもらい、後は夢中で突き上げ
母の声が可愛く夢中でしたね、お昼も食べず母の体に夢中に
なり、気が付けば午後6時を過ぎて、母と帰宅途中のあれは
とんかつ定食でしたかね、大盛を平らげてました。
私の結婚の頃は、別の職業につき時々会いにいくと、布団
を敷いて待っていたり、妻の初産の夜は母と布団で一つに
なっていた時に産婦人科からの電話が入りました。
あの時、2人とも裸で抱き合いながら電話に出ていたかな、
懐かしい思い出話、ありがとうございました、ミスうちが
ないか一応確認しましたが、あるかもしれないですが、
老人の思い出です。