私が小3の時、父が他界し、私は母1人子1人の状況で育てられた。幸い、母は県内中学校の教師(亡父も)をしていたので、経済的に非常に困窮した状況の記憶は無いが、子供心に父親が居ない分、贅沢をしてはいけない、「父親が居ないから・・・」と他所の人に言われてはいけない、という自制の中、育てられてきたと思う。それは私の子供時代が「楽しかった」とか「楽しくなかった」という次元の事じゃなく、父の死と母との2人だけの生活をそのように捉え、そのように過ごしていた。
母はスタイルの良い美しい人だったが、職業がら化粧・服装は地味で、とても優しかったが厳しく、女性として感じる部分(無論、私がであるが)も性の対象としてなんか見た事もなかった。
私が高校入試に合格し、呆けた様になっていた春休みのある日、母と外食し、食事の後、母が「相談があるの」と俯きながら言った。私の進学問題が落ち着き、将来を考えられる人間となったと思うから、1年前位前から付き合ってる人と再婚しようと思っているとの事。「うそっ~」って本当に目が覚めた感じで、母が再婚するなんて全く想像もしてなかったし、又そんな素振りも無かったし、そもそも「母と結婚の関係」、「結婚とセックスの関係」の外に母がいたと思っていた私は、頭が真っ白になって、その後母が何を言っているが訳も解らず、母の話をラジオの様に聞きながし、頷いていた。レストランを出て帰宅。家に帰って自分の部屋に戻っても訳も分からず落ち着かなかった。
母が、母が、「私以外の誰かを愛してる・・・」「母が抱かれる」「いや、1年も付き合っているならば抱かれている」「男とディープキスをして乳房を揉まれている」「乳房を舐められ、喘ぎ声を出している」「上目遣いで、媚びる様に男のチンポを舐めている」「男の肛門をなめチンポをしごいている」「指で広げて、オマンコを舐めさえ、喘いでいる」「そして大きく足を広げ、チンポ受け入れている」「激しいピストンを受け入れ、ピストンが止まると腰を振り男に応える」「もっと奥まで突いて、オマンコ気持ちイイィー」「オマンコ壊れるー」私の頭の中は爆発寸前だった。
私は、部屋を出て、階下へゆっくり降りた。母は私の反対の方向を見ながら電話をしている。会話から例の男と分かった。媚びを売るような話し方。「いやっ~、そんなことないって~」楽しそうに話している母。私はゆっくり、ズボンを脱ぎ、パンツも脱いだ。「それじゃ、週末のに、うん、・・・」電話を切った母に後ろから抱き着いた抱き、乳房を揉み、スカートの上から腰を振った。「何をするの」「バカなことは止めなさい」という母を無視し、首を舐め、耳を舐め、キスしようとしたら「いい加減にしなさい」っていつもの母の顔に戻っていたが、足を掛け倒し、ブラウスのボタンを外そうとしたが上手くいかず引きちぎり、胸を舐めまくった。「どけなさい、こんな事しちゃいけないの、広志」、暴れ喚く母に「近所に聞こえるよ」って言うと抵抗は少なくなった。そして私の下半身が裸であった事を見て、驚愕と一定の覚悟したと思う。乳房を舐め、両手を上げ、腋をなめた。「もう止めてよ・・・」すすり泣く母。スカートをまくり上げストッキング越しに太ももを舐め吸った、「やめてょ~」母の声。
太ももを舐め、袋はぎを舐め、足指もなめた。黒のストッキングに包まれた母の足は美しかった。ストッキングを脱がせ、パンティーを取ろうとしたら、又激しく母は抵抗した。「ダメだって、入れるのだけはダメ」「こんな事は許されない事だって」「もう許してよ」といってきた。そしては母は立ち上がり、僕も立たせ、向かい合う形でディープキスをしてきた。熱く、柔らかな母の舌が私の舌を舐め、吸う、蕩けそうになる位気持ちがよかった。そして母の手は僕のチンポをしごいた。他人にしてもらった事の無い手コキ、柔らかで小さな母の手で私のチンポは1分程で発射した。「もう良いでしょ」って感じで、母はすすり泣きながら散らばった物を片付け、浴室に向かった。シャワーの音がした。僕は呆然としながら椅子に座った。とっても気持ち良かった、でも後悔の念も少しある。シャーワー音に混じり、母の泣き声が聞こえる。また勃起してきた。浴室は鍵が掛からない。私は浴室に向かった。