20歳の時、父のモデルになり部屋の南側の廊下にお布団
を敷くとそこで裸になったのです。仰向けになり片足を
少し立ててやや開いて、アソコも隠さず父がワレメも描
き最初は恥ずかしく、私はまだ処女で男性も知らずにい
たのです。
完成するまで日数も掛かり、当時休日は午前中から
脱いで、お昼の後も裸になり幾日も掛かり、私は裸に
なってました。薄く色鉛筆で描きそこに水彩で色を加
え丁寧に私の裸を描いてました。父に裸を見せてから
お風呂も父と入浴もする様になり、私が浴槽に入れな
い日が生理日で、それも父に知られそして父に体を
洗ってもらう日々になってました。
「綺麗な体をしているよ、お母さんによく似ている」
私が立ったままで父に洗ってもらう日々になり、
私は背中も前も全て父に任せ、胸は優しく下から上
に丁寧に荒い、そしてまだ処女でいるアソコも父が
優しく洗い、その時に父のが大きくなっているのに
気づいて、私はそんな父のが大きくなるのも初めて
見て驚きでした。
「お父さんすごい!!」
<あっ・・悠子が綺麗だからだよ・・>
「・・・・私を女にして」
私は父に抱きついて、父が驚いて二人共裸ですし
私の胸が父にピッタリと密着してました。
「お父さん私を女にして」
<いいのかい本当に、お父さんで後悔しないかい>
「いいの、女の体にして」
処女の痛みもあり、出血もしてそれでも父にしが
みついて、ほとんど一晩中だったと思います。
朝目が醒めた私は父と裸で寝ていたのです。
「恥ずかしいわ」
<大丈夫かい?痛かっただろう、洗ってあげる
から起きれるかい>
父に抱き起こされ
<お父さんの首に捕まってごらん>
裸の私を父が抱き上げ、浴室に入るとアソコを
優しく洗い、父が吸い付いたオッパイも優しく
洗い、
「お父さんのも洗ってあげる」
そして洗っているとまた大きくなり、驚きで
<悠子もういいよ、こんなになっってしまっ
たから、もういいよ>
「お父さんお布団で私の中にきてもいいのよ」
そして朝食前に抱かれたのですが、まだ痛み
が残っているのもあり父にまたしがみついて
いたんです。
朝食後、お布団で脱ぎモデルになり、今度は
休憩に父と愛し合う様になり、そんな関係に
なっていたです。
ある男性から交際を申しこまれ、父に相談
すると、賛成してくれたのです。
<処女を再生しないといけないね>
「え!再生できるの?」
<できるとも、その方がいい>
父の勧めで処女の再生もして、交際を初め
私の裸の絵画は父が隠して見られることが
ないようにしてました。
父が他界後でした、彼と私の家に住み、彼
がたずけをしていたのですが、倉庫の奥か
ら新聞紙に厳重に包まれた四角い厚さのあ
る箱らしくものを彼が私の前に運びだし、
そのとき私はまさかと思いました。彼が
それを開いて中を見ると、額縁の絵画でそれ
は父が描いた私の全裸の絵画でした。
<え!なんだこれ!>
絵画のタイトルが「悠子」で、アソコも描か
れていたのに彼が驚いてました。
<お前じゃないか?>
黙ってうなずいてました。いい訳は言わず
それが離婚のきかっけになり、彼が家を出
ていき、私は一人になりその絵画は寝室に
飾ったのですが、考えれば父と激しく愛し
合っていたのに妊娠をすることがなかった。
不思議に思い、婦人科で検診を受けて判っ
たのが子供が出来ない体質でした。
親戚関係の男の子で8歳を養子になして、
お風呂も寝るのも共にして添い寝をする
とまるで赤ちゃん、オッパイをよく吸っ
てます。