続きです。きっかけは高校2年生の時、1つ上の兄がまだ実家にいたころ、相変わらずコンプレックスの塊の僕が暗い日常を送っていた時、僕の唯一の楽しみは兄が隠し持っていたエロ本でした。兄の机の引き出しの中には多くの種類のエロ本がありました。写真集、漫画、小説など。どれもむっつりスケベな僕を楽しませてくれていましたが、僕のお気に入りは素人のHな体験の告白集でした。女という生き物は雲の上の存在であった僕は写真集や漫画に出てくるかわいい女の子よりも素人の告白のほうがリアルで感情移入ができより興奮を覚えました。兄が高校を卒業し、実家を離れてからはその楽しみがなくなってしまい、我慢ができず、勇気を出して家から少し離れた本屋に行き、勇気を出して初めて自分でエロ本を購入しました。じっくり吟味し、選んだ本はもちろん告白集でした。僕はその本で初めて「近親相姦」という言葉を知りました。それはその本の特集の一部でしたが、そのリアルな内容に引き込まれ、とても興奮したのを覚えています。SEXなど僕には一生縁のないものだと思っていた僕にとって母と息子が禁断の性におぼれてしまう、その描写を読み、何度射精したでしょう。そしてついに僕は「母となら・・・。」そう思うようになってしまったのです。僕の中では母は女になりました。母は若いころの写真をみるとそれなりにきれいだった記憶があります。しかしその当時はやはり普通のおばさんでした。風呂上がりの母の裸を見たことはありましたが、胸も垂れてきているし、デブまではいきませんがお腹も出ているし、しかし僕にとっては充分すぎるほどの女でした。雲の上の存在だった女が身近にいる、一生縁のないと思っていたSEXがリアルに感じられる、僕の思いはもう誰にも止められなくなっていきました。性欲が僕の頭を支配し、実の母を性の対象としてしか見れなくなりました。僕は具体的にどうすれば母とSEXができるか、そればかりを考えるようになりました。しかし多少の理性は残っていました。まず無理やり、これはできないと考えました。母をまだ恨んでいた僕でしたが、それはさすがにできません。母の同意のもと、母にも快楽を味わってもらいたい、そう考えました。母は僕にずっと優しかったですが、僕は相変わらず冷たい態度を取っていました。若かったせいか、性欲のためとはいえ、急にその態度を改めることはなかなかできませんでした。僕は悩みました。考えました。そして一つの良案を思いつきました。僕のこの気持ちを口に出し、言葉にできないなら文章で伝えればいい、そう考えました。手紙はやはり恥ずかしいのでノートに気持ちを記し、わざと母に見つかるように仕向ければいい。僕は文房具屋で少し高めのノートを購入しました。普段授業で使うノートとは明らかに違うものにしました。表紙には「お母さんへ」タイトルを書きました。1ページ目には、母と大喧嘩をしたことについて、後悔していること、反省していること、本当は謝りたいのに謝れない自分を情けなく思っていること、そして「ごめんなさい。」の言葉。半分以上本心なので、長い文章になりましたがスラスラ書けました。それ以降は日記形式で冷たい態度を取ってはいるが、実は自分は母のことが好きであることを書きました。最初は母を性的な目で見ているとは書かずに・・・。数日たち数ページが埋まったところで僕はそのノートを他のダミーのノートを一緒に机の上に乱雑に並べ学校に出かけました。母は専業主婦で掃除好き、毎日僕ら兄弟の部屋を掃除してくれます。僕が学校から帰ってきたときの態度で母がそのノートを読んだことはすぐ理解できました。帰ってきた僕を玄関で出迎えてくれ、僕の顔を見て「おかえりなさい。」と言った後、すぐにトイレに駆け込みました。母は泣いていました。その後、そのことには触れませんでしたがかなりテンションが高く夕ご飯は僕の好物が並んでいました。僕はそっけない態度は変わりませんでしたがノートは毎日書き続けました。僕は母がこのノートを読んでいることは気づかないふりを
...省略されました。
願望はあるものの実行までできない人、そういう環境にさえない人が大多数のなのではないでしょうか。そう言う僕もその一人なんですが、りょうさんが羨ましい限りです。