父親がずっと単身赴任だったので、俺は幼い頃から母と二人で暮らしているようなものでした。
母は超が付くほどの溺愛っぷりで、まだ性の知識なんてない小学低学年の頃からお風呂も、寝るのも一緒で私はそれが当たり前だとずっと思っていたんです。
小3くらいかな?
母がお風呂に入る度に、「消毒」と言っては、チンポをくわえてフェラを毎回していて、精通は無いけど気持ちいいのでいつもさせていた
一応ですけど、現在私は26で、母は52です。
小学生の時は、必ずお風呂の儀式としてフェラは続き、小5で初めて精通したんです。
母は「これは膿なの、出さないとオチンチンが苦しくなるから、オチンチンが苦しくなったらお母さんに言いなさい」
そう言ってたが、俺は毎日毎日お風呂で母の口に出していた。
中学生になると、性の知識は自然に入ってくるようになり、母がしている事はフェラチオだと知った
エロい同級生は、いつもフェラされてみたい、セックスしてみたいなんてよく言っていたけど、まさか毎日母にフェラで抜かれているとは言えなかったね
母のチンポメンテナンスのおかげなのか、中学生になる頃にはズル剥けのチンポになってはいた(笑)
それは感謝してますよ
中学生になれば、一日一回のフェラでは我慢出来なくなり、朝・学校帰り・お風呂・寝る前に母にお願いして抜いてもらっていた
特別悪い事とも思ってなかったからです。
今までごく普通にしていた事だったからさ
母も喜んでしてくれて、オッパイやお尻を触っても怒りもしなかったので
一つだけ嫌だったのが、父親が帰ってくるとフェラをしてくれなくて、しかも父にハメられてヨガる声が毎晩聞こえてて
嫌だったな(笑)
中2になる頃には、毛も生え揃って大人のチンポになりかけていて、俺も母にスキンシップでお尻を撫でたり、後ろからオッパイを揉んでいたりするようになっていて
中2の夏に、母と一線を越える事に
その日は暑い夜で、母はパンツ一枚にユッタリとしたTシャツで隣で寝ていました。
母はたまに紐パンを履いてる事があり、この日も紐で、片方は緩く結んで解け易くしているのは知っていて、俺はどうしても母のマンコが見たくて、紐を解いてみた
ハラリと解けたその布は、母のマンコの上に乗っていただけで、母が寝返りを打つ度に下着をズラし脱がせていった
私にお尻を向けて横を向きながら寝ている母、生尻を触ってみると…
プニプニと柔らかく、ユッタリとしたTシャツを捲ると、母の大きいオッパイも自由に触れて、ゆっくりゆっくりと触れていた
とうとう母が寝返って上を向いた、膝を立てて脚も開いている
保安球でオレンジ色に照らされる母の身体、薄い茂みもハッキリ分かる
ゆっくりマンコに触れて、指で開いてみると…
ピンク色の中身が現れた
ここがクリトリスで、ここがマンコの入口なんだ
持てる知識を全部出して確認し、母のマンコの匂いを嗅ぐ
少しオシッコ臭い
それから初めてのクンニをした、クリトリスを中心に
母の手が伸びてきて頭を捕まえられたけど、引き離すのではなく引き寄せる感じでした
無我夢中にクリを吸い、舌で転がしていると
「あああァ、、、、、イクゥ、、、」
母は起きていたのです。
母に服を脱がされ、いつもはフェラだけなのに
乳首責めをされて、四つん這いにさせられ、玉を吸われ、アナルに入るほど舌を尖らせて舐めてながら、股の間から竿をシゴかれ
天にも上るほど気持ちが良く、母にもアナル舐めが気持ち良いのを知られてしまった(笑)
我慢汁が先から噴き出すほど、限界が来ていたのに、母はアナル責めを楽しんでいる
それから俯せにされて、ずっと竿に触れるのを焦らされていたからだろうか?
母が舌先で竿裏をなぞった瞬間、チンポから大量に精子が噴き出し、母は予兆してたかのように、いつのまにか口の中にチンポが納まっていて、母の口の中にみるみる出つづける精子
いつもなら口から出してシャワーで流したり、ティッシュに出したりするのに
その夜は初めて飲み込んだ
硬さを失わないチンポは、次に母のマンコを求めていた
母が横になり「ケンおいで」と、自ら脚を開いて俺を誘い
チンポを掴みマンコに誘導した
中は熱かった、ドロドロしててとにかく気持ちいい
ものの三分くらいで母の中に射精した、さっきと変わらない量で
母は「ケン、中に出したら赤ちゃん出来ちゃうでしょ」
そう笑っていた
まだ母の中に入ったままのチンポは、再び動き出してマンコの中に計三回出して
俺は深い眠りについた
初体験はこんな感じでしたね