去年、母が亡くなり、水戸の方に家だけが残りました。
兄妹は2人だけで、兄が川越の方に住んでいて、私は佐倉に住んでいます。
夫が単身赴任で名古屋、息子は大学生で西東京に住んでいるため、普段は私一人の暮らしです。
今年に入って、水戸の家を建て替えるか、売却するかって話が出て、とりあえず家の中を整理することになりました。
4月に兄の家族4人と私の家族3人で荷物の整理をし、不用品の殆どは引き取ってもらったり、捨てたりしましたが、両親や自分達の子供の頃の服何かが片付けし切れなくて、2ヶ月に1,2度くらい、私が整理に行っていました。
8月の新盆が来る前には終わらそうと思って、兄に連絡を取り、7月中旬の連休に二人で片付けようと決めました。
7月13日の金曜日、私が先に朝早い電車で実家に行き、母親の着物を中心に整理を始めましたが、思ったより手間がかかってしまい、昼過ぎには、持ってった息子の中学時代のジャージは汚れるし、汗まみれになってしまいました。
自分の部屋、兄の部屋も高校卒業して以来、母がそのままにしてくれていたので、自分の部屋に入ってタンスの中を探すと、高校時代の服が残ってました。
その頃の下着、着られるかなと思いながら着てみると少し可愛すぎるショーツだけど、サイズは何とか着られて、ブラもスポーツブラは大丈夫、Tシャツも問題無しで、上は高校時代のジャージ姿になりました。
夕方までそんな格好で整理を続けて、一段落してから、お風呂に入り、自分の部屋から持ってきたショーツに着替え、スポーツブラはキツかったんでノーブラのままTシャツ、暑かったので下はホットパンツ、42歳のオバサンには可笑しいかも知れない格好でしたけど、ウエストも少し窮屈なだけで着られて着替え完了。
髪の毛もポニーテールにしてみて、近所のスーパーまで出かけました。次の日来る予定の兄のためと、自分も飲むためのビールも忘れずに買って、家に帰って上はTシャツ、下はホットパンツのまま居間のソファに座って、すっかり気分は高校時代に戻って、けど、大人になった分、ビールはしっかり飲みながらTVを見てました。
気持ち良くうとうとしかけていた8時頃、突然、玄関の呼び鈴が鳴って、出てみると兄が立っていました。
「仕事早く終わったんで、車で飛ばして来ちゃったよ、電話するの忘れて、驚かせたな、ごめんな、」
そう言いながら家に入って来て、子供の時のまんまに、腹減ったけど何か食うものある?、って冷蔵庫を開けるんで、私が何か作るからって、台所から追い出して、簡単な料理を作り始めました。
その間、風呂湧いてる?、とか言いながら、勝手にお風呂場の方に行ってしまうし、中学生か高校生みたいで笑ってしまいました。
兄がお風呂から出て来た時には、兄の部屋から持ってきたジャージとパンツも用意して上げてて、自分が食べるつもりだったお握りに私が作ったオカズを添えて出してあげました。
ソファに並んで座って食事しながらビールを飲んで、昔話をしてたら、兄が私の方を見つめてくるので、「なに、何かおかしい?」そう聞くと、「いや、高校生の頃のエミみたいだな、って思って、」そんなことを言うので、「オバサンになっちゃったし、こんな格好、変?」って言ったら、妙に顔を赤くしてビールを飲み続けてました。
兄が3缶、私は1缶だけだけど、兄妹揃ってあんまりお酒には強く無くて、兄なんか首筋まで真っ赤になって、突然、「大学の夏休みに帰ってくると、エミが今みたいな格好で家にいて、俺、目のやり場に困ってたんだ、」そう言いながら、私の方に向き直って、「そんな時、エミの下着盗んで、エミの裸、想像しながらオナニーしたこともあるんだよ、」
47歳のオジサンがまるで高校生のように、顔を赤くして口篭りながら、そんなことを言うので、私も恥かしくなってしまい、「もう、すっかりオバサンになっちゃって、見る影もないけどね、」そう言いかけると、兄が急に私に抱きついて来てキスされました。
「さっきも、風呂場でエミの脱いだ下着見てたら、ガマン出来なくなって、オナニーしかけたよ、」
「なに、言ってんの、」頭では拒否しようとしながら、兄の指が私の股の所を弄りながら、もう片方の手でTシャツの上から乳房を握られた時、私のあそこも濡れかけてしまいました。
Tシャツを捲り上げ、乳首を弄りながら、「大きくて柔らかいなぁ、うちの嫁さんとはえらい違いだ、」、ホットパンツのボタンも外され、ショーツの中に手を入れられ、兄の指が私のクリトリスに触れた時には、思わず声を上げて兄の肩に縋り付いてしまいました。
「エミ、ほら、お前のせいで、こんなになっちゃったよ、」私の手を自分のペニスに触らせられました。
兄のペニスは堅く大きくなっていて、私の手の中で熱く脈打ってるみたいに感じられました。
「おにいちゃん、」やめなくちゃ、やめようよ、そう口に出す前に、兄の指が私の割れ目をまさぐって入って来て、私は息を?んで、兄に身を任せてしまいました。
舌を絡められながら、ホットパンツとショーツを脱がされる時も、抵抗なんか出来なくて、お尻を浮かせて脱がさせてしまいました。
兄のペニスに貫かれた瞬間、恥かしいけど、大きな声を出して、兄にしがみついてしまい、兄が動かし始めた最初からお尻を振って応えていました。
もう1年以上、夫とのセックスも無くて、ほんとに時たま、お風呂の中でオナニーじみたことしかしていない私の体を、兄がペニスを出し入れしてきながら、乳首を吸ってくれ、クリトリスを、お尻を、体中を愛撫してくれました。
「ずっと昔から、お前が小さい頃から、好きだったんだ、こんなこと、エミとしたかったんだ、」そう言われながら、兄のペニスが私の子宮を突いて来るのを感じながら、私は昂まって行きました。
「私だって、エミだって、お兄ちゃんのこと、好きだった、好きだったの、」ソファを軋らせながら、兄に貫かれながら、そんな言葉を叫び、善がり声を上げました。
体の中に熱い精液が打ち込まれるのを感じながら、逝っちゃいました。
気付いた時には兄に抱き抱えられて両親達の使っていた寝室に運ばれて行くところでした。
「エミ、ごめんな、まだ、もっとしたいんだ、お前と、」そう言われながらベッドに横にされ、私の足を開いて兄がクンニを始めても、私はただ気持ち良いだけで、抗ったりする気も無くなっていて、兄の舌の動きに合わせてお尻を揺すって応えていました。
朝まで、膝の上に抱き抱えられたり、自分の方から四つ這いになったりして、何度も逝かされ、何度も兄の精液を打ち込まれました。
翌朝になっても、私も兄も罪悪感も無くて、ずっと昔から恋人同士だったように、夫婦がするように体を絡め、キスしました。
月曜の午前中まで、何度もセックスし、兄に愛してもらいました。
送ってもらった帰りの車の中でも手を繋ぎっぱなしで、次に会う日まで約束してしまいました。
「片づけがなかなか終わらなくて。」そう理由をつけて週末に水戸で会うのも、2週も続けてしまうと、却って義姉の方が手伝いに来ることになってしまい、セックスなんか出来なくなってしまいました。
2人で考えて、何もしていない専業主婦の私が、川越に近い場所まで週に1度行くことにしました。
息子が西東京市の保谷にアパートを借りていたので、息子の所に掃除・洗濯の名目で1日を過ごして泊まり、次の日に新座で会う、そんなことをしばらく続けました。
最初の内は、息子も喜んでくれていました。
「お母さん、このごろ綺麗になったね、明るくなったし、若くなったみたい、」そう言ってもらえるほど、兄とのセックスを私は楽しんで、兄も私を愛してくれていました。
翌日の夜は兄に会える、抱いてもらえる、そんな気持ちの昂ぶりが体の芯を熱くさせていたのでしょうか、土曜日の夜、息子のアパートでお料理をしていた時、突然、背中から息子に抱きしめられて、スカートの中に手を入れられた時、兄の指に触られた時と同じ様に感じてしまい、抵抗するのを忘れてしまったんです。
「お母さん、こんなに毎週来てくれて嬉しいよ、お母さんの事、もっと好きになっちゃったよ、」そう言われながら、耳たぶにキスをされ、あそこを弄られ、感じながら座り込んでしまいました。
「俺、お母さんを愛してるんだ、喜ばしてあげたいんだ、」抱き寄せられキスをされ、抱えられるようにベッドに連れて行かれ、服を脱がされる時も、兄との初めての時と同じ様に抵抗するのも忘れて、裸にされ、体を開かされてしまいました。
兄とは違う荒々しいペッティングと、クンニにあそこは滾るほどに濡れてしまい、足を抱えられペニスの先を膣口に押し当てられるまでは、我を忘れて悶え感じていました。
膣口を押し開こうとするペニスを感じた時、初めて、「親子、近親相姦」って髪の毛が逆立つんじゃないかと思うほどの慄きを覚え、思わず、息子の体を両手で突き放そうとしました。
「だめ、もう、これ以上、だめ!」
息子のペニスが根元まで押し入って来た時、私は両を息子の胸に突っ張ったまま、泣き叫んでいました。
でも、息子が腰を激しく動かしながら、私の中に射精して来た時、兄とのセックスとは違う快感に身を震わせ、息子の名を呼びながら逝ってしまったんです。
「お母さん、好きだよ、お母さんの体、すごいよ、気持ち良くて、やめられないよ、」
翌日の朝どころか、昼過ぎまで、息子は私の体を離してくれず、まるで私を犯すようにセックスしてきては眠り、私も気だるいまま浅く眠っては息子を受け入れ、何度も逝って、何度も息子の精液を受け入れました。
やっと満足したように息子が眠りにつき、私が息子の精液に塗れた体に上着を羽織って、アパートのすぐ近くから兄に連絡をしたのは2時過ぎでした。
「体の具合が悪くて会いに行けなくなっちゃった、」私の嘘にも、心配してくれて、「俺が行こうか?」って言ってくれる兄の言葉に、電話を切ってから泣いてしまいました。
「土曜日まで待てないよ、お母さんと、もっと、してたいよ、」
息子の部屋に戻り、シャワーを浴びてたところに息子が入って来て、そう言いながら、私の体に後ろから抱き着き、乳房とあそこを弄り始め、狭いお風呂場の中でセックスを始められました。
泣いてる私の声を喘ぎ声とでも思ったのか、激しいセックスで、途中から繋がったままのスタイルで抱えられ、ベッドに運び込まれました。
「もう、お母さん、壊れる、壊れちゃう、」
自分でも思いがけない言葉を口に出しながら、体の中で動き続ける息子のペニスに狂ってしまって、何回も逝って、気を失うように眠ってしまいました。
息子のアパートを出たのは、火曜日の昼でした。セックスの途中に、食事代わりに食パンと牛乳を息子が口にさせてくれ、眠ってはセックスっていう3日間でした。
送って行くよ、っていう息子に、「恥かしいから。」そう言い訳して駅までの道を歩きながら、自分のイヤラシサに泣いてしまいました。
新宿の駅中で、生理ナプキンを買ってあそこに宛て直しました。息子のアパートでシャワーで洗い流した筈なのに、宛ててあったティッシュとハンカチは息子の精液でぐっしょり濡れていて、しばらくトイレで座り込んでしまいました。
佐倉までの電車の中でも、自分の体から息子の精液が匂ってしまうような気がして、車両の隅の方に立ったままでした。
翌週から、息子のアパートに寄ってセックスし、翌日は兄と会ってラブホテルでセックス、そんな生活になってしまいました。
帰りの電車の中で、私のあそこから兄と息子の精液が滴り落ちてくるような感覚と、あそこが疼き続けているような感覚を覚え、途中の駅のトイレで確かめて、オナニーするように触ってしまう、そんな私になっています。
どこで、狂っちゃったんでしょう?