小学校三年生のある日、母が入院した。
『ちょっとお母さんがお腹の病気でね、ちょっとだけ入院するんだ…』
父は不安がる俺を諭すように静かに話していた。
あまりに真剣な顔をするからとても重い病気なの?と不安で一杯になり大泣きして抱き抱えられた記憶がある。
『パパはお仕事があるから…ママが居ない間はお婆ちゃんが来てくれるから、大丈夫だよ』
大好きな祖母が来ることは嬉しかったが急に入院した母が心配で素直に喜べなかった。
早速翌日には祖母が来た。
大きな荷物とお土産を抱えて。
父は『ママももうすぐ良くなるから…』
を呪文みたく繰り返すだけで詳しく教えてくれない。
学校で母の話をすると、子供ながらの残忍さで『癌だったら死んじゃうよ?お腹とかなら癌かもよ!!』なんてさも知った顔を友達はした。
不安で堪らない俺は、祖母ならもっと詳しく教えてくれる、祖母は俺に嘘をつく訳がないという思い込みで何度も質問を繰り返した。
「本当にママはすぐ帰って来るの?何であんなに元気がないの?」
困っただろうなぁ(笑)
だって癌なんだもの。
しかも末期で殆どどうしようもなかったんだよね。
でも小学校三年生の男の子に事実を誰も告げられないでいた。
「かず!よく来たね!」
お見舞いに行けば母は元気な笑顔を見せた。
学校では何があった、友達とどんな遊びが流行ってるか、今欲しいものは何か?
そんな会話をしていた。
なかなか聞きづらかったが何度か『いつ帰れるの?』と質問をしていた。
その度に母は『もうちょっとかなぁ?お腹のなかはなかなかすぐに治らないんだよ』と答えていた。
徐々に周りが慌ただしくなった。
今までお葬式や法事でしか会わない親戚がお見舞いに来るようになった。
彼らの会話は俺が現れるとピタッと止み、まるでスイッチで切り替えた様に張り付いた様な笑顔を俺に向けた。
入院から2ヶ月、母はハッキリ解るくらいに痩せていた。
笑顔は辛そうで時々激しい痛みに耐える様に顔をしかめた。
その度に俺は病室を出されていた。
「ママは死んじゃうの?」
とうとう不安が爆発して、怖くて聞けない事を病室の外で父に聞いた。
泣きながらだからそんなにハッキリと言えなかったけど多分伝わったはずだ。
初めて父は泣きながら俺を抱きしめ、ただ『大丈夫だ、大丈夫だ』と繰返しそれ以上の言葉にならなかった。
そしてとうとう俺も事実を知る時が来た。
『かず、お前に話がある…我慢して聞いてくれるか?』
父に手を引かれ、病院の外にある裏の駐車場へと連れて行かれた。
父から聞かされたのは病気の事、もうすぐ死んでしまう事、どうしても病院の先生でも治せない事。
俺は大泣きし、メチャクチャに暴れたと思う。
「ヤダ~!!絶対にヤダ!!」とかギャーギャー騒いで騒いで騒ぎまくり最後は寝てしまっていた。
目が覚めるとそこは母の病室に置かれた簡易ベットだった。
あまりの騒ぎっぷりに最後はひきつけを起こしてグッタリしたらしい。
目が覚めた時は父の言葉が夢だったのか現実なのかサッパリ解らなくなっていた。
「ママァ?」
母は俺を見つめると涙を流した。
俺は普通じゃなかったと思うが出来る限り母の言葉に耳を傾け、色々と約束事をした。
事実を知ってからは友達と遊ぶのをやめ、祖母にせがんで毎日病院に通った。
先生や看護師とも知り合いになったが、母も治せないこの人達が好きになれなかった。
それから間もなく母は逝ってしまった。
結局父と二人の生活が始まった。
母と約束をしたから父に文句は言わなかった。
二人で協力して、と言われていたから出来ることは何でもチャレンジした。
炊事洗濯も出来るだけ、掃除は掃除機を掛ける位だがやった。
もちろん数々の失敗を繰り返したがその事で父から怒られた事は無かった。
小学校卒業の日、父が母から俺への手紙とビデオレターを手渡してきた。
卒業のお祝い、そして申し訳ない…そんな内容だ。
数日は泣いていたと思う。
俺が中学に上がる頃、何となく父に彼女がいるんじゃないかとおもうようになった。
時々もし新しいお母さんが来たらどう思う?と遠回しに聞くようになったからだ。
「えー!?やだなぁ…」
冗談にしても笑えない…と最初は思っていた。
しかし中学二年生の時にその女性を紹介された。
圭子さん、24歳の優しそうな人だった。
最初は父への怒り、母より若い女性を連れて来られて「ハイそうですか」なんて思えなかった。
何回も会わせられ、やがて少し打ち解けはしたが他人という感覚に変わりは無かった。
結局父は圭子さんと再婚した。
俺が出した条件は『母親の物は絶対に捨てない』だった。
周りの友達からは絶対捨てられるよ、という言葉を聞かされていたからだ。
もちろん母のものは片付けられたが捨てられる事はなく、モヤモヤした感情を抱えたままの新しい家族を迎えての生活が始まった。
実際圭子さんは良くやってくれたと思う。
30代も後半になり、しかも中学生という一番面倒臭い子供がいる家庭に入るだけでも大したもんだ。
炊事洗濯から何でもこなした。
母親とは思えなかったがお姉さん位には思うようになっていた。
多少はスケベ心もあったが平和な生活が続いていた。
中学の卒業式、若い圭子さんは浮いていたかも知れないが恥ずかしがる事もなく参列していた。
そして卒業式後、再び父から母からの手紙とビデオレターを渡された。
存在は知っていたが、父は頑なにその日まで俺に渡すことは無かった。
そこでの母はお祝い、そして高校の心配、そしてもしパパが誰か新しいママを連れてきたら俺の母親として認めて欲しい、と言っていた。
その時は嫌でもそれが俺にとっても良い事だと。
「もう、結婚してるっつうの!」
とボソッと自分の部屋のテレビに悪態をついた。
もちろんボロボロ泣きながらね(笑)
その日、圭子さんは遠慮がちに晩御飯出来たからね、と階段の下から声を掛けてきた。
「後で食べるから置いといて!!」
それだけ言うと夜中まで部屋で過ごした。
泣き腫らした顔で下には行きたくないし何となく圭子さんにその顔を見せるのが申し訳ないと思ったからだ。
数日後、春休みのある日の夜中、誰もいないのを良い事に居間のテレビでこのビデオを観ていた。
父は出張、圭子さんは寝ていたから一人で大画面のテレビで、ハイビジョンだし少しでも綺麗に映るかな?と観ていたのだ。
少しだけ綺麗に映る母を観ながら改めて無念さを感じていた。
頭に来るがどこにも、誰にも向けられない怒りに再び涙が出た。
バキッ
そんな廊下からの音に驚いて振り向いた。
そこには圭子さんが立っていた。
出来るだけ音を小さく、周りに気を配っていたつもりだったが画面に夢中になり気付かなかった。
『ゴメン…』
圭子さんも困った顔をしていた。
居間から漏れる明かりと、音が聞こえたから確認しに来たらしい。
まさかこのビデオを観てるとは思わず、一応確認に来たらしかった。
「俺こそごめんなさい…起きてると思わなくって…」
そう言いかけた所で再びボロボロ泣いてしまった。
喋ろうとすればする程嗚咽が漏れる。
片手で口元を掴むように押さえ込み、片手で手を降りながら「大丈夫、大丈夫」と掠れる声を絞り出した。
圭子さんは一瞬どうするか迷っていたが俺に近付くと驚くほどの力で抱き締めて来た。
そして圭子さんも泣いていた。
俺も我慢出来ずに久々に声を出して泣いてしまった。
お互いに落ち着くとどちらからともなく離れ、初めて圭子さんと母の話をした、というより俺が一方的に喋った。
もちろん最初は圭子さんが嫌だった事、徐々に馴れた事、まだ母とは見れない事、今はお姉さんみたいな気持ちな事、母親より若い人を連れてきた父が最初は嫌だった…などなど。
圭子さんも黙って聞いてくれていた。
ただ一言、それも含めて全て受け止める覚悟で半端な気持ちではなく来た、と言っていた。
何となくスッキリした気持ちだった。
『今日は一緒に寝ようか?』
変な意味じゃなく聞いてきたと思うけどそこまでは…という気持ちがあり、どう断るかを考えていた。
『じゃ、おいで!』
圭子さんは立ち上がると俺の返事を待たずに夫婦の寝室に向かって歩き始めた。