私の家は両親が離婚しており、ずっと母子家庭で育ちまし
た 。母は小学校の教員をしており、とても厳しい母でした
。学校の成績が下がると、ズボンを脱がされ50cmの定規で
太ももの裏を何度も強く叩かれました。泣きながら謝り、
許してもらう体罰が日常化し、日々厳しくなっていきまし
た。母の話を聞く時は手を後ろに組んで聞く事や、返事は
「はい」と大きな声でするなど、厳しく躾られました。で
きていない時は、いきなりビンタです。母の顔色を伺いな
がらの生活は楽しいものではありませんでした。中学生に
なり、私の唯一の楽しみは母の目を盗み、風呂場での自慰
行為です。それも長くは続かず、中1の夏休みに突然に扉
を開けられてしまい、あの厳しい母に見られてしまいまし
た。母は一言「出たら部屋に来なさい」と言い、その場を
離れました。私は急いで母の部屋に向かいました。途中、
恥ずかしさと、叱られる恐怖心でいっぱいでした。部屋に
入り、母の前に正座し手を後ろに組み、母の顔を見ると優
しい声で「大人になったね、うれしいよ」と言われました
。驚きと定規で叩かれずにすむ安堵感を感じていると、母
は「隠れてやらないこと、わかった?」と明るく言いまし
た。恥ずかしくて俯くと「返事は?」咄嗟に「はい!」と
大きな声で返事をしました。すると母はノートに図を書き
、女性の体の仕組みやセックスの事など、教員故に授業の
様に詳しく説明してくれました。説明を聞いている時、私
は母がより知的に見え、あんなに厳しく怖かった母を始め
て女性として意識してしまいました。普段意識しなかった
母の胸や唇などが気になり、興奮を覚えました。母は私の
様子に気付いたのか、説明が終わると「隠れてどうやって
やっていたのか、見せて」と母が明るく言いました。母の
前で性器を出すのは、恥ずかしくて俯くと「言われた事出
来ないの?」といつもの怖い母の声に戻っていました。私
は小さな声で「ごめんなさい」というと、いつものビンタ
が飛んできました。怖くて興奮はすぐにさめました。しか
し、言われた事に逆らった事のない私は、母の前で性器を
出しました。すると母は「顔を見ながらやるのよ、始め!
」と言いました。小さくなった性器を母の顔を見て、刺激
しましたが、恥ずかしさで中々大きくならず、母の顔から
目を離し、手を止めました。すると強烈なビンタが飛び「
顔から目を離すな!手を止めるな!」といつもの様に怒ら
れ再開しました。その後もどうしても恥ずかしくて目を離
してしまい、ビンタをされながら、泣きながら刺激しまし
た。叩かれる度に頭が真っ白になり、気が付くと今迄で一
番興奮し母の前で射精してしまいました。母は優しい表情
で「気持ちよかった?」「痛かった?」など聞かれ、私は
正直に感想を伝えました。母は「叩かれると痛くて辛いけ
ど、居心地がいいだろう」と言い、私の頭を撫ぜました。
私には小さな頃からM気がある事を母は見破っていた事、
母にはS気がある事、主従関係についてなど詳しく教えて
頂き、私は奴隷という立場に強く惹かれました。今後、母
の奴隷という立場になるか、普通の親子関係に戻るかは自
分で決めなさいと言われ、私は母の調教を受けていく事を
選びました。現在調教を受け始めて9年になりますが、内容
もハードな調教になり、幸せに母と暮らしています。