母が他界して三回忌を済ませましたので、一つの自分自身のけじめとしてお話をさせていただきます。
今まで、私はこのコーナーをどれか一つでも真実があればと思いながら読んでいました。
私は、ここに自分の経験を記録して、本日からこのコーナーを見ないことにしました。これも私のけじめです。
私が、高校生一年の時、父が高速道路の交通事故に巻き込まれて亡くなりました。
当時は、保険というものが今のように確立されておらず、国に救いを求めたり加害者に請求したりと母は大変だったようです。
また、当時の農作業は今のようにトラクターとかなく、母と高校生の私と小学4年生の妹でコツコツと農作業をしていました。
父の一周忌が終わった途端、親せきや近所から母の再婚話しが多く舞い込んでくるようになっていました。
母も悩んでいたようで、私や妹に見合いをしてもいいかと聞いてきました。
妹は泣いて「いやだ」と訴えました。私は、家計の苦しさと農作業の苦労がある程度分かっていましたので、すぐ返事ができませんでした。
いよいよ私が進学するか就職するかという時に、母は「あなたが進学したいのなら、田畑を処分してでも大学に行かせるから真剣に自分で決めなさい。」と言われたので、
一晩中寝ないで、考えていましたら、そこに母が、「今夜は驚くようなことを言ってごめんなさいね。」と言って寝室から居間に起きてきました。
そして「はい、これ少し飲んだらぐっすり眠れるわよ。」と一升瓶の酒を湯呑についでくれました。
酒を飲みながら、母に就職すると話すとともに、父の後を継いで農業をやっていく旨を話しましたら、母は私をしっかり抱いて泣きながら「ありがとう。私はあなたのような立派な男と結婚したかった。」と言いながら、私の顔や頭を両手で何回も何回も撫でまわされ、息苦しかったことを昨日のことのように覚えています。
それからは、進路の悩みもなくなったので、学校から帰ったら母がしている田畑に行って農作業に励んでいました。
夕方になると、母が先に帰って妹の夕食の準備など家事をやって、私が暗くなって帰ると、母と一緒に食事や、進学をしないので母が好きな晩酌を私も一緒にして、妹と話をして、妹が風呂に入って寝るころに私達も一緒に風呂に入っていました。
ある時、私が夏休みで盆が終わったころ、水田に農薬を母とともに撒いていましたので、作業が終わってすぐ風呂に入りました。
その時、母が「今日はあなたが一番頑張ったので、私があなたを洗ってあげるね。」と言い出して。全身を丁寧に洗ってくれました。その時の感触は、母の胸が肌が石鹸の泡で滑るように気持ち良くて、私を後ろから抱くような洗い方でドキドキしていました。
その夜、母と晩酌しているとき、母が「気持ち良かった?今度は私を洗ってくれる?」と聞いてきましたので、「考えとく。」と返事をしたら「ずるい子ね!」と言いながら私の頬にキスをしてきましたので、「母さんは、悪酔いしてるから晩酌はこれで終わり!」と言ってそれぞれの寝室で寝ました。
それから、母は私に男の友達のような話し方や態度をするようになっていきました。
それには、少し母なりの訳がありますが、内容については最後の方にお話しいたします。
やがて、お風呂では、お互いを洗いあうようになっていました。晩酌の時、母は私に、好きな女の子のタイプとか、何歳までに結婚したいかとか聞いてくるようになっていました。
相当酔いが回っているとき、私の後ろから私を抱きながら「私と一回くらいキスしろ!」と言ってキスしてきました。
私は「今日は相当飲んでいるのでしょうがないな。」と思いながらキスしましたら、「ありがとう」といって泣きながらキスしました。
「私、ずーっと寂しいの。夜も一人で寝ていて毎日が耐えられないの。私が再婚することもいやがられるし、私が変な男性とお付き合いしても近所に噂が立つでしょう。どうしたらいいのかわからない・・・」と言って泣きながら母が来ましたので、正面から母を抱きしめて一生懸命、したことがないキスを長い時間していました。
翌朝、母は本当に恥ずかしそうにしていました。母が「昨夜は私酔っていたわね。ごめんなさい・・・」と言い終わらないうちに私から「おはよう!」と言ってキスしましたら、「ありがとう」と母からお返しのキスがありました。
妹が、小学校に行くと同時に、私たちは抱き合っていつもキスをしていました。
ある時、妹が「行ってきまーす!」と言って出て行ったので、私たちはキスをしていましたら、「忘れ物をした・」と言って台所に来ましたので驚きました。
何時ものように、農作業が終わって一緒に風呂に入って、お互いを洗いあって湯船につかっている時、母が「あなたいつも自分で処理しているでしょう?あなたの部屋の掃除をする時、あなたが出した匂いとティッシュがあるけど、私じゃダメなの?」と聞いてきたので私は全く返事ができませんでした。
妹が寝て、晩酌をしていましたら、母が「ねえ、今夜は私のところで一緒に寝てくれる?」と聞いてきましたので「いいの?」の聞き返しましたら、「ありがとう、あなたは本当に素晴らしい男性ね。」とキスが帰ってきました。
その夜のことは、半分はハッキリと覚えていますが、半分は物凄い緊張で何が何だか思い出せません。
私達が一つになりながら、母から言われたことは「二人の関係は絶対に話さない事、例え私達が大喧嘩をしてもこの関係だけは話さない事、妹に絶対気づかれない事、許可なく中に出さない事、いつも母を女性として愛する事」などでした。
私が、就職して中古の車を買ってから、私達の行動は一変しました。先ず、行動範囲が一挙に広がり、二人は恋人のようにドライブや観光ができ、車でそのままホテルに入れるモーテルというとこに入って、思いっきり抱き合いました。
母は、家ではできない大きな声で喜びを表していました。
そして、やがて父方の親せきが私に見合いの話を持ってきて、当時のことですから、トントン拍子で結婚をすることになりました。
母と、真剣に私達の関係を今後どうするか話し合いましたが、どちらからともなく具体的な話はできませんでした。
新婚時は、母と私は何の関係もなく普通の家庭生活を送っていましたが、女房が出産で実家に帰り、妹が泊りになった日に、私が地元の会社の勤めが終わり家の農作業から帰ったら、母が食事の準備をしてくれて風呂も入れたので、ゆっくりと湯船に浸かっていたら、母が晩酌を風呂まで持ってきて、「久しぶりだから一緒に入ろうね!」と言って、湯船の中で晩酌していました。
「どこかの温泉宿でもこんなことしてたね。懐かしいね。」と言ってキスをしながら、久し振りに母の部屋で楽しい時間を過ごしました。
母を抱きながら感じたことは、女性は年齢ではないと思いました。母には母の素晴らしところがあって、女房には女房の素晴らしいところがあり、私はこの二人の愛する女性と生活ができていることに心から幸せを感じました。
それから、女房の目を盗んでは、母と抱き合ったりキスをしたりしていました。
でも、母も年を取り動けなくなりました。入院中は女房が付き添いをしてくれて感謝しています。
女房に代わって私が付き添いをしている時、母が「私の人生は、最愛なる息子の彼女になれたような気がして本当に幸せよ。少しだけ抱いてキスして。」と言いましたので、抱いてキスしました。
母の目から涙が出ていました。
世間的には、間違っているのかもと思っていますが、こういう人生を送って幸せに旅立っていった母を心から愛しています。
母の分まで、女房を愛していきます。