叔母が亡くなって15年経った今だから、思い出しながら書いてみる気になったこと。
寂しげな女性を見ると何とかしてあげたいと思うのは俺だけじゃないと思う。
但し俺の場合、寂しげに見えたので何とかしてあげた女性が叔母だったところが他の人と違うところだった。
俺の名前は春樹、当時は28の会社員、叔母の尚美は俺の母の妹で48、叔父はその3年前に51の若さで急逝した。
何の偶然か、叔父が亡くなった当時の6年弱、俺は叔母夫婦の住む地方都市の支社に勤務していたので、叔父の没後叔母の様子をよく見に行っていた。
今から20年前の2月、叔父の3回忌の法要をした。
近い親戚だけに声をかけて集まってもらったようだが、俺の両親は父方の祖母の介護で多忙なのと遠方と言うこともあり参列できず甥の俺が代表で参列した。
集まった中で叔母の血縁者は俺だけで、あとは叔父方の親戚が数人来ただけだった。
叔母は叔父が他界してから3年経とうというのに、最愛の人を失ったショックから完全に立ち直っていないようだった。
笑顔になることも少なくなったし、俺が訪ねて行ってもいつも溜息ばかり吐いてた。
傍目から見ても仲のいい夫婦だったから仕方のないことかもしれないが、俺はそんな叔母が心配でよく様子を見に行ったものだ。
生活の方は叔父が残してくれたマンションと生命保険があったので困ることはなかったはずが、叔母にとってはお金のことなど問題ではなかったようだ。
法要の後、俺は叔母が少しでも元気になればと思い、お寺から車で1時間くらいのところにある温泉に宿を取って連れて行った。
子供に恵まれなかった叔母の息子代わりと言うわけでもないが、水入らずで精進落としをしようと思ってのことだったが、思いのほか叔母が喜んでくれたのが何よりだった。
少し痩せたようだったが元気だったころと変わらずきれいな叔母に戻ったようだった。
「春くんの前でごめんね。せっかく連れて来てもらったのに、いつまでも黒い服を着たままって言うのもなんだから」と、叔母が喪服を脱いで浴衣に着替える姿を見て俺は思わずドキッとした。
黒い下着とストッキングが叔母の体の線を際立たせたからだったが、仕事ばかりで女っ気のない生活を送っていた俺には目の毒だった。
元気なころの叔母は明るくきれいな女性で俺の憧れだった。
物心がついた頃叔母はすでに遠方に嫁いだ後だったが、親類の冠婚葬祭事などでたまに顔を合わせるのを楽しみにしていたくらい、叔母のことを思っていた。
スタイルも良く、それを言うと本人は嫌がっていたが、かなりの巨乳デカ尻だった。
その叔母が叔父を失って以来、明るさを失い化粧やおしゃれをすることもほとんどなくなり、家の中に籠って溜息ばかり吐くようになっていた。
そんな叔母が久しぶりに見せた健康そうな笑顔と、淫らな黒い下着と言うミスマッチに思わずドキッとしたんだと思う。
俺はそんな思いを振り払い、叔母に「露天風呂付きの部屋だから、先に浴びて来たら?」と声をかけた。
それを聞いた叔母は嬉しそうに「えっ?露天風呂付き?すごい部屋なのね」と部屋中を見まして、「あら、こっちにも部屋があるんだ!こっちは寝室?御飯はこっち?」と嬉しそうにはしゃいだあと風呂に入った。
夕方仲居さんが来て、奥の方の窓からの景色の良い部屋に布団を敷いて行ったが、まるで時代劇で悪代官が隣の部屋の襖を開けると、派手な布団が二組くっ付けて強いてあるような感じだったのには思わず笑えた。
旅館の夕食は豪華なものだった。
一族の遺伝なのか、俺も叔母もアルコールはほとんど飲めないが、この夜は食事をしながら地酒を徳利で1本だけ頼み、二人で半分ずつ飲んだ。
部屋で夕食を済ませたあと、俺が酔い覚ましもかねて風呂に浸かっていると叔母が入ってきた。
叔母はびっくりしている俺を見て「せっかくだから一緒に入ろうと思ってね」と、慣れない酒のせいもあったんだろうが、妙に明るく楽しそうに言った。
さすがに50に手が届く年齢のせいで重力に負けてしまうのは仕方がないが、それでもお尻は少し小さくなった気がしたが、胸は相変わらず大きかった。
俺は叔母に「相変わらずきれいだね、おっぱいも大きいし。叔父貴が亡くなってもう3年だろ。叔母さん美人だし歳だってまだ50前なんだから再婚とか考えても良いんじゃないのかな」と言ってみた。
叔母は「いやだ、胸のことは言わないで」と茶目っ気たっぷりに言ったあと「ありがとう、でも恋愛も再婚も考えられない…」と言った。
俺は続けて「叔母さんが今のままでいたいなら良いけど、それじゃこれから先の人生がもったいないと思ってね」と言うと、叔母は少しだけ考えて「でも、やっぱり恋愛とか再婚なんて、死んだあの人を裏切るようで嫌かな…」と寂しげに言った。
俺が「わかったよ、じゃぁこの話はおしまい」と切り上げると、叔母が俺の顔をしげしげと見て「まだ子供だと思ってんだけど、こうやって見ると春くんも大人になったんだね」と言って俺の頬を撫でた。
「そりゃそうだよ、あと2年で30だぜ」と言い返すと、「体もがっちりして立派になったし、歩く姿も堂々としてるし」と言って体を触ってきた。
俺は「くすぐったいって」と笑いながら叔母の手を除けて、「叔母さんだって触られたらくすぐったいだろう」と叔母の豊満なおっぱいを触ると、「エッチねぇ、でも平気よ」と、もっと触れみたいな感じで体を寄せてきた。
「じゃぁもっと触っちゃおう」と冗談ぽくおっぱいや乳首を触っているうちに、なんだか興奮して勃起してしまった。
俺は左腕を叔母の体に回して引き寄せると、右手でおっぱいを触りまくった。
すると最初は平然としていた叔母の吐く息が少しずつ荒くなっていき、左腕を離しても俺にもたれかかるようになった。
俺が「どうしたの?風呂でのぼせちゃった?」と聞くと、叔母は首を横に振りながら俺の顔を何とも言えない悩ましい目で見ながら、「なんで叔母さんのおっぱいなのに、こんなになってるの?」と、俺のチンチンを掴んで甘く囁くように言った。
俺が「叔母さんがきれいだからだよ…俺昔から」とまで言うと、叔母が唇で俺の唇を塞いだ。
どちらからともなく舌が自然に絡み合うと、お互いに貪り合うような長く激しいキスを交わした。
叔母が唇を離して「昔から‥なに?」と言うので、「昔から憧れてたんだ…」と答えると、「本当に?嬉しい…」と言ってもう一度唇を近づけてきた。
俺は叔母を両手で抱きしめると、叔母の唇を受け止めて濃厚なキッスを交わした。
二人は風呂から上がると、体もろくに拭かないまま布団に飛び込んだ。
何が何だか分からなかったが、夜もまだ浅いうちから東の空が白むまで激しく求め合った。
二人の関係は多分動物の本能なんだろう、俺は叔母に憧れてはいたがアイドルに憧れるのと同じように生々しさの無いもので、性愛の対象ではなかった。
それは血の繋がった叔母を性愛の対象にしたりすることに少なからず抵抗があったからだ。
高校生の頃、久しぶりに会った叔母を実際にオナニーのネタにしようとしたが、憧れよりも罪悪感の方が強くてできなかった。
それなのに目の前で全裸の叔母を見て性欲が掻き立てられたのは、ただ単にオスがメスを求めただけのことだと思う。
叔母だって心の中には最愛の叔父が存在しているからこそ恋愛も再婚も叔父を裏切るようで嫌だとまで言っていたはず、にもかかわらずこうなったということは、風呂で裸の俺を見てそれまでの3年間押し込まれて膨らんだ性に対する欲望が一気に爆発しただけなんだろう。
法要の参列者の中で唯一心を許せる者が甥の俺しかいなかったことと、その俺とどんな形であれ一夜を過ごすことになったということも、叔母に引き金を引かせたきっかけになったのだろう。
とにかく恥じらいも何もない、あけっぴろげの激しく濃厚な一夜だった。
叔母はまるで別人だった。
きっと叔父との営みの時には、あんなふうに豹変していたのだろう、でなければ次から次からあんなことができるはずもない。
床上手なんていうレベルではなく、唇、舌、手指、おっぱい、足と、体のすべての部位を使って男に尽くすといった感じだった。
亡くなった叔父に仕込まれたのか自分で努力して身に付けたのかはわからないけれど、どちらにせよ叔母自身に淫らな素養、資質がなければできるものでもないだろう。
俺も男だからソープや性感のような風俗には何度か行ったことがあるが、プロの女性でさえ、叔母ほど素晴らしいテクニックを持った女性には当たったことがない。
もしかしたら、叔父は叔母との激しい営みのせいで短命だったんじゃないかと疑いたくなるくらい凄かった。
具体的に書くと、最初の1時間くらい俺はマグロ状態でいい。
仰向けに寝転がると叔母が重なって来て、長く淫らで濃厚なディープキッスから始まる。
叔母のいやらしい舌が俺の口の中を動き回り舌に絡みついてくる、お互いの舌を吸ったり唾を飲ませあったりしたあと、叔母の唇と舌と指が顔から耳首筋へと這う。
ここから30分くらいかけて体の裏表、手足の指一本一本までしゃぶり尽くしてくれる。
それが終わるとパイズリ、フェラ、玉舐めはもちろんアナルまで舌を突っ込むようにしながらたっぷりと舐め回してくれる。
そして最後にチンチンをしゃぶりながら俺の顔を跨いでシックスナインの体勢になると攻守交替と言う流れだった。
叔母は尽くしてくれる分、俺にも同じようにするように求めてきた。
叔母の全身を唇、舌、指を使って丹念に愛撫した後、同じようにじっくりと時間をかけてクンニする。
だから床に入ってから最初の挿入までに2時間くらいかけることが当たり前だった。
さすがに2回目以降はそれほど時間をかけたりはしないが、とにかく濃厚な夜だった。
これも最初は驚いたというか戸惑ったんだが、叔母は「潮吹き」だった。
AVで見たり話しには聞いたことがあったが、特にAVはモザイクの下に水鉄砲でも仕込んでいるんだろうと思っていたので、まさか実物に当たるとは思っていなかった。
だから温泉旅館で初めて叔母と関係した時は失禁したと思って焦ったが、色も臭いもなかったので、本当に潮吹きってあるんだと思った。
若かった俺は叔母の貪欲で淫らなセックスにとことん溺れた。
当時は独身で会社の寮に住んでいたが、金曜日の夜から日曜日の深夜まで叔母のマンションで過ごすようになった。
さほど女性経験の無かった俺は、叔母のテクニックに完全にハマっていった。
叔母も若い俺を相手に性欲を思い切り発散させるかのように、赤の他人には見せられないような痴態を晒していた。
「ピアノを弾いても大丈夫なマンションだから」と言うのが口癖で、セックスの間中淫らな声を上げ続けた。
叔母は精飲が好きで、よく一番最初に出るのを「濃いのを飲ませて」と言って飲んでいたが、本人が言うには不妊症と言うことだったので、避妊はしたことがなかったし実際妊娠することもなかった。
金曜の夜ベッドに入ってから日曜日の深夜に独身寮に帰るまでの間、二人はほぼ全裸で過ごしセックスの合間に寝たり食べたりするような3日間を過ごしたので、月曜火曜は寝不足と腰痛に加え、チンチンが筋肉痛のような症状に見舞われたものだった。
関係が始まって3年後に俺は転勤で違う地方に移動したが、叔母の住む地域に出張した時には叔母のマンションに泊まって淫らな一夜を過ごした。
転勤してさらに2年経った頃、叔母は「体調を崩したから、ちょっと検査してくる」と言って入院したまま帰ってこなかった。
進行性の腺癌だった。
享年53才、入院する2ヵ月前に叔母と一夜を共にしたが、性欲は全く衰えていなかった。