遠い昔の思い出、今はもう亡くなった母との事です。
昭和30年代、ピンク映画にパートカラーが登場し、性
行為の場面だけカラーになった頃の事です。
私達は母子家庭で浅草に住み、母は深夜迄湯島のバーに
勤めていました。当時母42歳、私が17歳の頃です。
多分欲求不満の毎日を過ごしていた母は、泥酔して深夜
帰宅する毎日でした。
服装もお化粧も派手で、お店では多少Hなお触り程度なら
OKだったと思います。お客さんに触られ火の付いた身体は、
どうしようも無く、明け方近く母の布団がモゾモゾ動き、
吐息が聞こえて来たいました。
ある日、泥酔して帰宅した母を布団に寝かせ、洋服を脱がす
と、真紅のブラに同じ色のスキャンティー(当時はよう呼ん
でいたようです)を身に着けていました。お化粧もだらしな
く禿げ落ち、まるで男に犯された後のようでした。
そんな母に欲情してしまった私は、意識朦朧としている母に
覆い被さると、勃起してしまったチンコを母に嵌め込み、母
の呻き声を聞いた途端、奥に射精してしまったのです。
私は母の後始末もしないで寝てしまいましたら、母は朝方首
を傾げながら桜紙で拭き取っていました。
男との情交後ですが、母の記憶には無かった情交だったのです。