高校二年の冬だった。
新チームになって、センターのレギュラーを取り、高校最後の年に、勉強野球に打ち込むとき。
雪で学校まで送ってくれた母、運転しながら、携帯で話しをしてるから、危ないから止めてくれと言っていたとき、赤信号に気づかず、母は交差点に侵入、接触事故。
俺は右手と鎖骨を骨折の重傷。
利き腕の損傷で、レギュラーもなくなり、リハビリの日々。
母は事故直後、泣いて謝ったが、表面上は許したが、納得がいかなかった。
野球、勉強、オナニー、どれも利き腕が使えず、満足に出来ないイライラ。
俺は、償いの気持ちあるなら、勉強野球は母には無理だと思い、せめてオナニーの手伝いくらいさせてやろうと思った。
罪悪感のためか、母は無謀な俺の要求を、簡単に受け入れた。
父が帰る前、俺のチンコをしごく母。
要求はエスカレートして、母の乳を触り、そして裸にさせ、フェラまでさせると、やはり最後は穴に入れたい。
やらせろよ。
母は拒んだ。
俺の運転中携帯の注意無視した結果だろ。
母は何も言えなかった。
フェラしたあと、母は俺にまたがり、入れようとした。
そのとき、中だけは出さないで、出るとき必ずいって、と俺に言った。
そして母は俺を迎えいれた、が、初めての俺は、母の感触を味わう余裕もなく、母に射精を伝える余裕もなく、母の中へと射精してしまった。
出来たらどうすんのと慌てる母に、俺は冷静だった。
出来たらどうすんの、俺からレギュラーを、しかも運転中の携帯という不注意で奪ったあんたに責任がある。
母はまた黙った。
高校最後の夏を、治療とリハビリ、レギュラーのはずがベンチにも入れなくなった責任。
母は父にも黙って、言いなりになるしかないのだ。
ギプスやプロテクターが取れでも、握力は10kg。怪我の前は、60kgあった。
つらいリハビリ。
初めてだったセックスも、母として慣れて、握力回復願い、右手で激しくテマン。
力が入るようになると、母は喜びの声をあげ、慣れてきた俺の腰振りに、喘ぎ声をあげた。
高校を出て二年。
俺の握力は、まだ30kgにみたない。
野球はもう無理。
48になる母。