夏が来ると思い出します。私は一時期、妹と関係を持ったことがあります。
持ったというより、持たされた…というほうが正しいかもしれません。
始まりは私が13歳、妹が10歳の時です。
父が突然の病に倒れ他界し、母子家庭になってしまいました。
私達兄妹は一時期祖父母の家に預けられ、しばらく暮らしました。しかし、不幸は続くもので、祖母も他界。祖父は一人では私達兄妹を預かれないと、母親の元に戻りました。
市営住宅に移り住み、母親は必死に働き、私達を育ててくれていました。
私が15歳、妹が12歳の春の事…私達の暮らしが急に贅沢になり、不思議に思った矢先、妹が母親に連れられ、マキノという家で暮らすことになり、母親と私は、豪華とまでは言えませんが、マンションに引っ越しましした。
そして、高校にも進学出来ることになったのです。
私は理由を母親に聞いてみました。生活が劇的に変わったからです。
その時ははぐらかされましたが、結論はこうです。
つまり、母親はある会社社長に見初められ、愛人になり、
さらに、妹を売ったのです。
マキノという社長とその妻には、おかしな性癖があり、その性癖に私達兄妹は利用されたのです。
妹がいなくなり、母親は毎日、遊びほうける日々。
私は一人部屋にいることが多くなり、夏休みになってからです。
家のマンションに、マキノ社長の奥さんが現れたのです。
50歳を少し過ぎた奥さんでしたが、非常に若々しく、そうは見えない美貌でした。
ユミコというマキノ社長のこの奥さんは、少年好きでした。私はあっけなく誘惑され、奥さんの虜にされました。
夏休み、奥さんの手ほどきで男になった私は連日、セックスの毎日。
そんなある日…
奥さんは、面白いものをみせてあげるといい、私にあるビデオをみせました。
それは…マキノ社長と妹のセックスでした。妹もまた、社長によって女にされていたんです。
撮影しているのが奥さん…でした。
奥さんは、中学生だって、快感を知れば、大人と変わらない。あどけない顔、子供の声がたまらない。といいました。
妹と社長のセックス映像を観ながら、 私達もやりました…たまらない興奮でした。
奥さんは私に、妹のビデオを全てみせてくれました。
社長に処女を奪われ、痛みに泣き叫ぶ妹…慣れてきて、フェラを教わる妹…やがて、快感を覚え、喘ぐ妹…
夏休み終盤…私は社長のマンションに呼ばれて奥さんと行きました。
そこには、社長に抱かれている妹がいました。
騎乗位で激しく腰を振り、「パパァ…パパァ…」と連呼しながら喘ぐ妹の胸を下からわしづかみながら、卑猥な言葉をなげかける社長。
私達が来たのがわかると、
「さっちゃん、お兄ちゃんが来たよ?」
といいます。
ビクッとして動きを止め、私達を観て、恥ずかしそうに顔を背ける妹。
しかし、社長の合図でまた腰を振り、喘ぎ始めた妹。
やがて、妹が甲高い喘ぎ声とともにイッて、ベッドに大の字に。
そして社長と奥さんは私達兄妹にとんでもない要求をしたのです。
私達のセックスを撮影し、それを観ながら、自分達もセックスをするのだと。
私は拒否できませんでした…妹の妖艶な姿に、妹とヤリタイと思ってしまっていたのです。
奥さんは私に、
「私としているように、さっちゃんにしてあげなさい」といいます。
社長はカメラの撮影準備を素早く済ませると、妹に
「パパにしているように、お兄ちゃんにもしてあげなさい」と耳打ちすると、妹はコクンと頷き、身体を起こしました。
私は我慢できず、妹に襲い掛かりました。
私と妹は兄妹であることも忘れ、激しく抱き合いました。
途中、撮影しながら観ていた社長夫妻は我慢できなくなったのでしょう、代わる代わる、私達と変則の3Pを要求してきます。
めくるめく時間が過ぎ、
やがて、三人がかりの責めにさんざん絶頂を迎えた妹は社長に、私は奥さんにトドメをさし、終わりました。
その後も時々妹とのセックスをさせられ、私達兄妹は完全にマキノ夫妻の玩具でした。
母親はといえば、母親も社長の会社の若い社員をあてがわれ、溺れていきました。
約2年間そんな関係が続き、奥さんが実は子供の出来ない身体であることがわかり、やがて妹は社長の子供を身篭り、産まれた子供は社長夫妻の子供として籍を入れられ、私は高校を卒業したあと、社長夫妻から離れて地方の企業に就職、そして妹は…なんと高校三年の時、社長の奥さんが、突然の事故で亡くなり、社長の後妻に納まってしまいました。
母親は次々男を取り替えて、やがて行方はわからなくなりました…