満州から復員して来た父は敗戦のショックからか全然働かず、とうとう昭和
26年に私が小学校2年生の2月、母(42歳)は父と離婚し3歳上の兄と私を連れ
て東北のある都市の実家に戻りました。実家は人を使って営んでいる、地場
産業の製造業で旧家でした。部屋数も多くあり、当時実家は母の兄夫婦(伯
父伯母)と3人の従兄弟、3人の従姉妹の8人家族へ我々3人が同居する大
家族となりました。従兄弟と兄は男同士で2部屋で他の従姉妹は女同士で寝
ていました。当然伯父夫婦は一部屋です。
私は一番年下とあって母と、みんなとちょっと離れた仏間に一緒に一部屋を
あてがわれ、一つの布団で母と一緒に6年生まで寝ていました。
母は寝る時は下着をはかず、腰巻の上に寝巻きを着るだけでした。東北の冬
は寒く、いつも母は私の脚を自分の脚に挟んで「こうして寝ると温かいから
ね」といって寝てましたが、夏になっても習慣で母の脚に私の脚を挟んで寝
ていました。小学5年生のある夜、下半身に違和感を感じましたが、寝たふ
りを続けていました。明らかに母の手が私の下半身をまさぐっているので
す。子供なりに勃起していました。
それからも時々寝ている時に同じことが繰り返され、ある夜はとうとう自分
も母の手の動きに合わせ、寝たふりをしながらも腰を小刻みに動かしていま
したが、耐え切れずとうとう母にしがみついてしまいました。
母は「し~っ」と口に指を立てましたので必死に声をこらえました。
それからは母も遠慮せずに私の下半身をまさぐり、勃起した私のものを横向
きの姿勢(横側臥位)で後ろ向きになり、私の勃起したものを股の間に挟
み、手は自分でクリを挿すっていたのでしょう前に回されていました。
そんな状態が続いたある夜、いつもと違った快感に襲われ目を覚ますと、母
が勃起した私のものを咥えて頭を上下に動かしていました。手の時と違って
母の口の中は温かく、舌先が舐める私のものの先の感覚は今までにないもの
でした。そのうち下半身から脳へ突き抜けるなんとも言いがたい感覚で頭の
中が真っ白になり、母の口の中で生まれて初めて射精してしまいました。
母は口で受け止め枕カバーで拭い、「やっと大人になったね」と私のものも
優しく拭いてくれました。
それからはちり紙が枕の下に用意されるようになりました。
この頃は従姉妹(従兄弟)達は結婚、就職で一人去り、二人去りで7人家族
になっていました。
6年生の頃には性にも相当目覚め、母とは咥え、舐めあうことも覚えました
し、母の一番感じるところも知るようになっていました。やっぱりクリが感
じたようで私の指で満足するようになっていました。それでも挿入だけはさ
せてくれず、側臥位での今で言う素股で逝かせてくれました。
中学になると、さすがに母と一つ布団と言うわけにはいかず、同じ部屋で
別々の布団で寝ることになりましたが、することは同じです。どちらともな
く誘い合い、お互いの布団を行ったり来たりです。 この頃は伯父夫婦と兄
と母、私の5人になっており、兄はまったく離れた部屋で一人で寝ていまし
たので、私の指で逝く時の喘ぎも控えめながら抑えなくてもいい状態でし
た。
中学1年の終わり頃から陰毛が生え始め、その生え揃っていく過程が面白い
と母は抱き合うたびに言っていました。生え揃うころには私のものも皮が剥
け「やっと一人前になったね」とこの夜の母は、正常位でM字開脚で私に「間
に入って・・いつものように舐めて」と。抑えた喘ぎのなかから「入れて・・・」
どうしていいか判らずにいると、勃起した私のものを自ら手を添えて「ここ
に入れて・・・ぐっと腰を前に・・・」言われ、言われた通り腰を突き出すとそれ
までに濡れに濡れていた母の中にニュルっと入ってしまったのです。
手、口、素股とはまったく違う初めての感覚です。本能的に腰を動かしニチ
ャクチャ淫らしい音を聞きながら抽送を繰り返しました。
母はそのうち「いい・・・」とか、「もっと」とか言いながら頭を左右に振り手
はシーツをしっかり握りしめていました。