まだ中学生の頃、朝から部屋でマスかきに夢中になっていると
「ワタル、ちょっと手伝え」の言葉と共に部屋の戸が開いた。との前に立つ
お袋が
俺を見たとたん「ありゃりゃ~、わりぃ、わりぃ」と戸を閉め、戸の向こう
側で
「後で、ビニルハウス手伝えや」と言って消えていった。俺はテンションが
下がってしまい、
マス掻くのも止めて半ギレでお袋の手伝いをしてビニル栽培の収穫を手伝っ
た。
終始むっつりしている俺にお袋は作業が終わると
「何、怒ってんのさ、ん?」とまるで訳分からんといった様子で俺も黙って
いると思い出したように
「あ、悪かったよ、悪かった。でも、しょうがねえべ」と悪びれる様子も無
く俺が睨み返すと
「あ~、そんなに怒んなよ、・・あ!、じゃ、こっち来い」と俺を引っ張っ
て
ハウスの奥に連れて行かれた。お袋が辺りを見回して
「みんなにゃ、内緒だぞ」と言って俺の手を自分の巨乳に押し当て、ズボン
の上から
ペニスを撫でると、思春期の俺の相棒はアッと言う間に天を向いた。
「よしっ!」と言い放ったお袋は屈み込むと俺の相棒を剥き出し軽くチュッ
とした後
音を立ててしゃぶり始めた。マスなんて比べ物にならない衝撃だった。
途中、お袋は「誰か来たら教えろよ」と言った後、フェラに集中する様に俺
の物を
扱いたり、しゃぶったり。俺は堪らず「あ、出る」と言うが早いかお袋の口
の中に発射してしまった。
暫動きの止まったお袋が、今度は喉を鳴らして俺の出した物を飲み干した。
まだ性の知識の甘い年頃だったので飲精という物を知らず。
(あ、飲んじゃった・・・)と思いながらニッコリ微笑んで立ち上がるお袋の
顔を呆気に取られて
見返していると「ほれ、じゃぁ、帰るべ」と何事も無かったかの様に片付け
を始めた。
それから、フェラ手伝いのご褒美の様に何度かして貰っていたが、翌年にな
ると
特に何が無くてもお袋を部屋に呼びつけてフェラして貰えるようになってい
た。
そんな夏の初め頃、例のごとくフェラをして貰っている最中、辛抱堪らず押
し倒し
ズボンをずり下げ、上着をたくし上げ、肉塊の様なお袋にしがみ付いて乳を
吸い、
両足を押し広げて割って入ると
「それは、まずいよ、だめだよ、やばいよ」と押し止め様とお袋がしました
が、
今思うとその時のお袋は言葉ほどの抵抗も無く、足には力が無く挿入も比較
的容易だった気がする。
挿入を果たした俺は、がむしゃらに相棒を突きたてた。フェラの段階では余
裕のあったお袋も
顔を真っ赤にしてしかめ、口は半開きで、「あっ、あっ、あっ」と嗚咽しか
漏れなくなり
俺はと言うと緊張のあまりなかなか逝く気配が無く高速ピストンを続けてい
ると
「ワタルっ、ダメッ、もう堪忍ッ、あぁ~~~っ」
とお袋が体を突っ張らせて逝ってしまった。
俺がお袋の中で果てたのはその2~3分後だった。事が終わるとおお袋はテ
ィッシュで
自分の股間を拭いながら、口で俺の相棒をなめ上げ身支度を整えるとヨタヨ
タしながら
俺の部屋を後にした。その後も俺が高校を卒業して東京で就職するまでの3
年間
お袋の世話になった、もう10年以上も前の話。あの時40代だったお袋も
あと数年で
還暦、でも時折実家のお袋を見るとまだムラムラとあの頃のようにSEXに
おぼれてみたい
と思うことがる。