十代半ばと言えば、人生の中で最も性欲の強い時期かも
知れません。私にも経験があるので、良く判ります。
しかしまさかそれから二十年以上も経って、またその事を
身をもって体験する機会が与えられるとは、思っても
みませんでした。もちろん三十代も後半の私が、
二十歳以上も若返ったと言う話ではありません。
きっかけは、息子が性の目覚めを迎えた事でした。
彼女のいない息子が、その欲望に苦しんでいるのは、
判っていました。その欲望が満たされない為に、息子に
私と同じような、暗い十代を送って欲しくはありませんでした。
子供に、自分と同じ辛い思いをさせたくない、と言うのは
全ての親に共通した願いでしょう。私もまた、同じ思いを
抱いて、息子に尽くして来ました。息子が苦しんでいるのに、
何もせずにいられる訳がありません。それどころか、私には
息子の苦しみを癒してあげる事が出来るのです。私は
自分が何の為に女に生まれて来たのか、そして暗い十代を
送って来たのかが、ようやく判ったような気がしました。
息子を生んだ事、そしてその息子に自分とは違う満たされた
十代を送らせてあげる事。その全ての為に、私の女という
性はあったのです。
そう気付いてしまえば、後はもう簡単でした。私もこの年に
なるまで、少なからぬ男性経験を重ねて来ました。十代の
遅れを取り戻すかのように、狂ったようにヤリまくっていた
時期もあります。まさにこれこそ、年の功と言うものかも
知れません。大人の女の手練手管を持ってすれば、息子を
誘惑するのはたやすい事でした。余りにも強い欲求不満に
悩まされて、息子は既にギリギリの精神状態にありました。
近親相姦と言うタブーを犯す事すら、もう息子の頭の中
にはなかったのかも知れません。そして私も・・・欲望に
負けて体を重ね、最後まで行き着いてしまってから、
我に返って自分の犯した罪の重さに震えました。しかし
今更、引き返す訳にもいきません。母親と息子が性行為を
するなんて、許される筈がありません。その許されない事を、
自分たちはしてしまったのだ・・・その事実から目をそらす
為には、自分たちの行為を肯定するしかありませんでした。
その癖、頭の何処かには、タブーを犯していると言う自覚が、
はっきりとありました。覚めた思いでその事に気付きながら、
息子と再び重ねた体は、それ故に初めての時よりも強い快感
に襲われました。あっと言う間に終わってしまった初体験に
比べ、息子には私の反応を確かめようとする余裕も生まれ
ました。私は息子をリードしながら、見せ付けるようにして、
息子の前で昇りつめていきました。初めて見る女性の生々しい
姿は刺激が強過ぎたのか、私が達する前に息子はまた放って
しまいました。それでも私は抜け落ちないように、陰茎を
ギュッと膣壁で締め付けて、最後まで自分の欲望を果たし
ました。既に放っているにも関わらず、今度も同じ位の
量の精液を、息子は吐き出したようです。私は息子に
ぐったりと体を預け、時折フラッシュバックのように蘇って来る
快感に体を震わせました。息子の精液は、私の子宮が受け止め
られる量をはるかに超えていたので、膣口から溢れ出して、
息子の体を汚しました。もうこれ以上、吐き出すものなどない
筈なのに、それでも私の中で息子のモノは全く萎える気配を
見せませんでした。息子はギュッと私の尻を掴んで、
下からその強張りを突き上げて来ました。私はまた体を
仰け反らせ、いつの間にか腰をうねらせて、濡れ膣で陰茎を
しごき立てていました。もしかしたら女性に取って、最も
性欲が強いのは三十代なのかも知れません。