一般的に、真面目、清楚、御嬢様育ち、才女、優等生、美女、正義感が強いなど、世間から見て評価の高い女性たちは、周りから見られている自分を演じようとする傾向があります。
そして、恋人になる男も、そうした世間の見方と同じなので、その「高嶺の花」とも言える女性を抱けるだけで幸福感を感じ、乱暴なセックスやアブノーマルなセックスを要求したりしません。彼女に嫌われたくないから・・・・
しかし、周りの目、世間の見方と、当人との意識は大きくズレていることが多いものです。とは言え、そのことを誰にもカミングアウト出来ずに、悩み苦しむ。
彼女たちは心の中で、こう叫んでいます。
「私は、あなたたちが思っているような女じゃないの!」
「私は、もっと汚らわしい、いやらしい女!」
「誰か、私の淫らな本性を見抜き、ドロドロとした淫欲の世界に引きずり込んでっ!」
そして、彼女たちが夢想するのは、今ある地位から転落していく自分です。
かつては、「オナニーなんてはしたないことをする女」「誰とでも寝るような淫乱女」「どこの誰であっても、金で身体を売る娼婦」「虐げられることでしか快感の得られない変態のマゾ女」そうした女性たちを蔑んでいたはずです。
しかし、そんな女へと自分が堕ちていくことに、恐怖を感じながらも、堕ちていきたい衝動に駆られてしまう!
なぜなら、「高嶺の花」としての地位にあるからこそ、本物の快感、本物の興奮が手に入らないのであれば、その地位を自ら捨ててしまえば、それが手に入る!そう思うからです。
しかし、一線を越えてしまったとしても、それは一時的な気も迷いであり、本当の意味で転落をしてしまってはいけません。
もしあるとすれば、限られた時間、限られた空間の中で、被虐的な世界を味わえる「SMプレイ」と言う範囲内で、欲望を爆発させる。それが賢明であり、そうしたプレイの出来るパートナーを探すことが最善の策だと思います。
※元投稿はこちら >>