ここに書かれている事、1990年春の出来事らしいですけど、あの年5月の下旬頃だったか、本屋で立ち読みしたどこかのエロ雑誌に載っていた体験告白にタイトルも内容もそっくりですね。
この書き込みと同じく、雑誌の体験告白の女性は42歳の未亡人で娘は19歳だったと記憶していますから、もしかして、礼子さんはあの時の雑誌に投稿した女性なのでは?
もしそうなら、犯されてセックスした娘の彼氏とその後もつき合って妊娠して結婚したなんて、本当に驚きです。
でも、最高のセックスパートナーと巡り合って夫婦になって今もラヴラヴだなんて、本当に幸せですね。
あの頃、私もここに書かれている事と同じ経験をしました。
治彦さんが礼子さんを犯す形で無理矢理にセックスしたように、私もあの頃、つき合っていた彼女(恋人&セックスフレンド)の母親に迫って強引に体を奪ってセックスしたのです。
実はそのきっかけとなったのが例の体験告白で、あの記事を読んだ私は自分でも信じられないくらいに物凄く欲情してしまい、それまで考えてみた事さえなかった彼女の母親とのセックスを強く欲するようになったのでした。
いけないとわかっていても、自分の中に生じた情欲の念はどうしても抑える事が出来ず、治まるどころか、日に日に強まって行く一方で、毎日、彼女の母親とのセックスを想像しながら、1日に何度もオナニーしていた私だったのです。
彼女の母親とセックスしたくてしたくて仕方がなくて、死にそうなほどの堪えられない気持ちになり、もはや欲望を抑え切れなくなった私はある日、遂に意を決して、家には彼女の母親しかいない平日の昼間に彼女の家を訪ねたのでした。
私はその二週間前に訪ねた際、彼女の部屋に忘れ物をしたようだと嘘をついて家の中に入れてもらったのです。
家に入った私は彼女の母親へ自分の想いを告げたのですが、当然の如く、拒絶され、その後は治彦さんが礼子さんに対して行ったように、私も彼女の母親を力づくで。
私は自分の中に宿った情欲の全てを彼女の母親の熟れた肉体へぶつけて、最初は激しく抵抗していた彼女の母親でしたが、次第に快感に堪えられなくなって来て、遂に私を男として受け容れてくれたのでした。
礼子さんと治彦さんと同じく、前座位でセックスしていて、快感に堪え切れなくなった彼女の母親が両腕を私の首に回して抱きついて来て、目の前で女として官能に満ち溢れた表情を見せながら、悦びの声を上げた時は最高に幸せな気持ちになり、思わず、先にイッてしまいそうになったくらいです。
そうして、私と彼女の母親は自分たち以外は誰もいない日中の家の中で、二人だけの世界で男と女として濃厚なセックスで情欲の限りを貪り続けて、より強大な快感を欲して男女にとっての最高の悦びを求めて、獣のように激しく愛し合ったのでした。
私とセックスしていた時の彼女の母親は女として最高に魅力的で、親子ほども年が離れている私の目の前で恥も外聞もなく乱れに乱れまくって、ヴァギナの締めつけも私のペニスが折れてしまうのではないか?と思ったほどに物凄くキツく、私はそれまで彼女とのセックスでは経験した事がなかった強大な快感を覚えたのです。
私と彼女の母親はお互いに存分に快感を味わった末に、最後は治彦さんと礼子さんと同じく、前座位で抱き合って二人で同時にイッてしまいました。
イク時、彼女の母親は娘の彼氏である私の子どもを妊娠する事を恐れて、膣内射精(なかだし)を拒絶して必死で膣外射精(そとだし)を懇願したものの、私はその要求を無視して、自分のペニスに溜まりに溜まっていた大量の精液の全てを彼女の母親の膣内に射精(だ)し尽くしたのです。
その時の私は彼女と結婚した場合、彼女の母親は自分にとって義母になる女性である事など、もはや頭の中からすっかり消え去ってしまっていて、彼女の母親が自分の子どもを妊娠してもいいと思っていたのでした。
もし妊娠したら、私は彼女と別れて彼女の母親にも夫である彼女の父親と別れてもらい、結婚したいと本気でそう思ったくらいで、私は完全に彼女の母親の虜になっていたのです。
婿と義母の間柄になる可能性があった私たち二人、私と彼女の母親はセックスした事によって、
(これで私と彼女は永遠に結婚できなくなった… 男と女として結ばれた自分たち二人はもう義理の親子にはなれない…)
とお互いにそう思ったのでした。
イク前は膣内射精を嫌がった彼女の母親でしたが、イッてしまった後は悦びの声を発して快感の余韻に浸りながら、射精に応じてヴァギナで私のペニスを強く締めつけて子宮に精液を吸い取っていたのです。
残念ながら、私と彼女の母親は治彦さんと礼子さんのように夫婦として結ばれる事はなく、初めて男と女として愛し合ったあの日から彼女と彼女の父親の目を盗んで逢い引きを続けて、二人だけの愛の世界に身を浸していたのですが、1年近くが経った翌年春、彼女の母親の意向によって別れました。
私は彼女の母親とつき合い始めてから間もなく彼女と別れたので、彼女の母親にも夫である彼女の父親と別れて、私と結婚してくれる事を強く望んでいたのです。
しかし、彼女の母親は私の彼女だった娘と夫に対して大きな負い目を抱いていて、家族を捨てて若い私と新しい人生を歩んで行く事に躊躇いがあった為、最後まで私のプロポーズを受け容れてくれませんでした。
人目を忍んでの不倫関係による恋愛、シークレットラヴだったとは言え、1年近くの間、本気で愛し合って来たのに別れるなんて…
ある日、彼女の母親から別れ話を持ち出された時は本当に悲しくて仕方がありませんでしたが、でも、相手の気持ちを考えると、申し出を承諾せざるを得なかった私だったのです。
私たち二人が別れる事を決めた日に、私がその翌日に愛し合う男女、恋人同士としての最後のデートを申し込むと、彼女の母親は戸惑った表情を見せて少しばかり躊躇したものの、私の強い願望を受け容れてくれたのでした。
翌日、愛し合う男女、秘密の恋人同士として二人だけで会った最後の日は日曜だったので、私と彼女の母親は私の住んでいたアパートの部屋で昼過ぎから晩方に掛けて、お互いに淋しさ、悲しさを抱きながらも、6回も体を交えて、濃厚なセックスで精も根も尽き果ててしまうまで激しく愛し合ったのです。
1年近く男と女として愛し合って来た私と彼女の母親、私たち二人だけの愛の世界、秘密の思い出の総括として全裸の体を一つに繋げて、お互いの肉体を獣のように激しくとことんまで貪り尽くし、情欲の全てをぶつけ合って、最後のセックスを存分に満喫して強大な快感を覚えながら、男女にとっての最高の悦びを感じ合いました。
6回とも、二人で同時にイッてしまった膣内射精(なかだし)のセックスだったのです。
私は膣内射精をしていた時、
(願わくは自分の子どもを妊娠してくれたら…)
と密かな願望を抱きながら、彼女の母親の膣内に思いっ切り精液を注ぎ込んでいたのでした。
本音はそれまで二人が愛し合って来た証として自分にとっての間に新しい命、男女の愛の結晶が生じる事を願っていた私は最後の6回目のセックスでイッてしまった後、ペニスに全精力、いや、全生命を注いで彼女の母親の膣内で射精したのです。
最後のセックスで二人で同時にイッてしまった瞬間、私の全身を覆い尽くしたとてつもないほどの強大な快感は言葉では表せないくらいの最高のもので、私はまさに天にも昇るような気持ちになった事を今でもよく憶えています。
あの時に味わった最高のオーガズムは20年以上が経った今でも忘れられません。
彼女の母親と別れてから今日まで私が他の女性たちとのセックスで経験したオーガズムの中で、あれほどまでの物凄い快感を覚えた事は一度もなく、礼子さんと治彦さんがそうであるように、私たち二人の体、セックスの相性は抜群に良かったのではないか?と思っています。
私にとって彼女の母親は今まで経験して来た女性たちの中で、最高に素敵な女性でした。
私たち二人が別れてからしばらくして、それまで彼女の母親と同じ街に住んでいた私はその街を離れ、そこからかなり遠い街に引っ越したのでした。
近くにいると、彼女の母親の事がどうしても忘れられないので…
今にして思えば、別れる前、私はもっと強引に結婚を申し込んで、彼女の母親を力づくでも自分の妻にするべきだったと大いに後悔しています。
もしそうしていたら、私たち二人は今頃、礼子さんと治彦さんのように、幸せなラヴラヴ夫婦になっていたのではないか?と。
後悔先に立たずと言うべきでしょうか…
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