ぼちぼち書いていきます。
あと、もうちょっとざっくばらんに書いていきます。たしかに、お堅いですね。
やっぱり思い出に残っているのは、一番最初に私のところにきた、中国人研修生、吉林省出身の王丹(実名)さんです。
王さんとは、当時から数えて1年くらい前に、すでに説明したテンセントQQというツールを使って、知り合い、最初はネット友達からスタートし、それからネット生徒(日本語を教えるという関係)という関係に発展していったのです。
といっても、ネット友達→ネット生徒という流れは、この後にも登場する方との関係においては、全員に共通するところでもあります。
王さんは年齢は24歳。日本に来日し、研修先は滋賀県にある「〇〇運輸」という運送会社でした。
「1か月後に日本いくよ!」と言われた私は、「おおおww じゃ、ぜひ会おうw 日本を案内するよw」と、まるでテンプレのような返事をし、私は王さんが日本に来るのを待ったのです。
王さんは〇〇運輸に務めるにあたって、〇〇運輸が準備した寮もあったのですが、やはり中国で水商売(中国版キャバクラ)をし、破天荒な生き方をしてきた王さんにとって、日本での寮生活は多少、窮屈だったようです。
また日本企業側も、中国人研修生は、すぐに男を見つけて、その男の家に流れ込む。というのは想定の範囲内だったらしく、その〇〇運輸という会社で働く限り、必ず〇〇運輸の寮に住まないといけない。というわけでもなかったそうです。
むしろ、寮から出たほうが毎月2万円程浮く。というので、〇〇運輸に務める中国人研修生は、こぞって男を見つけて寮から出ていくというのが当然のようでした。
そして王さんは、寮住まいをしていたのはたったの2か月、それから私の家に流れ込み、それから王さんが出ていくまでの2か月間、私と一つ屋根の下で生活する事になったのです。
もちろん、私にとっては驚きと不安が入り混じった気持ちでいました。
王さんとはネットではよく知っているけど、実際にどういう人物かは知らない。そんな人と、シェアハウス、あるいはルームメイトとでもいうのでしょうか(家賃は0円ですが)
いきなり私と10歳以上も年の離れた女の子が、私と共同生活をするのですから、エロ的な期待ももちろんありましたが、それよりも、よく知らない外国人女性と一緒に生活をする、という不安と緊張のほうが勝っていたのは言うまでもありません。
そんな中、王さんは日本へ来日し、それから〇〇運輸へ研修生として働き出し、それから色々な愚痴や相談を聞きながら、「寮でたい」と訴えられたのは、来日から1か月後、そして実際に寮を出たのは、2か月後というかなり早いスピードで脱、寮!を決め込んだのです。
ここからここからいきなり二人での生活の話をしてもいいのですが、それだと長文好きの読者には物足りないと思いますので、次回は王さんの住む滋賀まで迎えにいき、そして家に連れてくるまで。そこからスタートしたいと思います。
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