「眼」「耳」「鼻」「舌」「身」「意」 の眼や耳の次は、鼻を使って大量の分身を放出してしまった俺。翌日の朝は深夜の秘密の行事の罪悪感が残り、正面みてみことチャンの眼を見れなかった俺ですが、相手のほうからいつもの笑顔で「おはようございます」といつも通り言ってくれた事で安堵したものです。
ここで、みことチャンについて話をしておくのも文章の構成上悪くない判断だと思います。
俺がみことチャンと出会い、そして遍路の道中に様々な話をしていく中で(話だけは本当に沢山できました)俺が仕入れた彼女についての話をしたいと思います。
みことチャンは大学を卒業後、家族経営の会社に就職する事が決まっていたそうです。だからこそ、大学を卒業した直後に、就職が決まっていながらも四国八十八箇所巡りなんて出来る時間を持てたとの事でした。(経営者が親族なので融通が効くとのこと)
ただ、(読者の皆さんも気になっていると思いますが)みことチャンが四国八十八巡りの女の一人旅をしようと思ったその理由。決して、遍路の旅というのは女が一人で出歩けるような生易しい業ではないハズなのです。
彼女が言うのは、吉村家というのはもともと四国の〇〇(古い読み方の地名が入る。伊予とか阿波とか讃岐とか)の豪族(武家)の一族であり、代々、真言宗を信奉する檀家の家だそうでした。
それがいつの日からか、吉村家では「四国八十八箇所巡り」をまっとうした者が、一人前の大人として認められるという風潮があったそうです。
そして今回、みことチャンが四国八十八箇所巡りに「行かなければならなかった理由」というのもそこら辺にあるようで、簡単にいうなら普通の会社に就職したら遍路なんかに行く必要はなかった訳です。それが親族経営の会社に務めるからこそ、、行かなければならなくなった。という事でしょうか。
そこでみことチャンのおばあ様が遍路の道のせめての足しに。と金額こそ聞いてませんが、幾らか出資してもらったらしく・・・。一族の手前、おばあ様の手前、私は遍路をやりらなければならない。という使命感に満たされたそうなんですね。
まー俺も、(今のこんな時代に、えらい古風なこと言ってるねぇ~・・・・w)とは思いましたよ。最初はね。
だけど、みことチャンの遍路に挑む姿勢っていうのかな。みことチャンが言ってたことだけど、「楽な道と辛い道があるなら、出来る限り辛い道を選びたいんです。きっとそれが将来の糧になると思うから」と言ってたことがありました。そして寺につくたびに真剣にお寺の所縁を学んだり、僧侶の説法を真面目にきいたり。
俺も半信半疑だったけど(この子は本当に真面目なんだな・・・)と途中からみことチャンに対する見方が変わったのも事実でした。
そんな不安いっぱいの遍路道に、ふと現れたのが俺という存在。
(年齢も少し年上の人。善人にも見えないけど(冗談で)悪人にも見えない。目的地も一緒だし、B寺までの山越えを一緒にしてもいいかな。旅は道連れ世は情けって言うし。)と思ったのが俺と供に最初の一歩を踏み出した時の気持ちだそうでした。こんな真面目な子が、行きずりの男と一緒に旅をする。それも遍路が持っている独特の解放感のようなものの仕業なんじゃないでしょうか。
それが・・B寺の次はC寺、C寺の次はD寺という形で行動を供にするようになり、少しづつ、俺という人間と分かりあえてきたそうでした。
そんな感じの8日目。(パンオナ事件の翌日)
俺はこの8日目の事を一生、忘れる事はないでしょう。きっとこの話の前半部の醍醐味部分になるんじゃないかと思います。(投稿先を最高のH体験を選んだ理由もここにあります)
F寺での説法を聞き、目当ての朱印を手に入れた俺たちは、今までは山間部が中心となった道のりだったけど、ここから平坦ではあるけど川辺の道を歩かなければならなくなったのです。
なぜなら、舗装された道路は狭くて危険だし遠回り。河原の砂利道を歩くほうがいいという事で、他の遍路の行者たちも河原の砂利道を歩いていたのです。「四国 河原」とでも検索してもらえれば、ここもまさに、俺たちが歩いてきたような雰囲気に近い場所の写真が出てきます。
ほんと・・・綺麗でしたね。空は雲一つない青空。5月から6月に切り替わろとしている時期で気温もなだらか。空を飛ぶ鳥の鳴き声が「ほーほー、ホッホー。ほーほー、ホッホー」と聞こえていました。そんな中を河原の砂利をザックザックと音を立てながら歩いていた俺たちは、ふと「少し休憩しようかw」という話になったのです。
この時、俺たちは二人とも2日くらい風呂に入っていませんでした。そして洗濯もしていませんでした。自然と出てきた言葉が、「川の水綺麗だし、ここで洗濯しよっかw」という話になりました。
そこで俺たちは水に濡らしたらいけないもの、携帯電話とか財布等そして、金剛杖、笠、南無大師遍照金剛って書いたハッピ等をまとめて水に濡れないよう岸に置き、俺とみことチャンはそれぞれ、自分達で洗濯する衣類と、着の身着のままで河原の中に入っていったのです。
川に入ってからは「冷たくて気持ちーwww」と川の中にはいって腰まで浸かって川遊びをし、「この季節だったら、少し歩いただけで乾くっしょw」と結局、全身が濡れてしまうまで川で遊んだのでした。なんせ2日ぶりの風呂。川に胴体を浸からせながら、首、腕、足、そして腹などを川の水で濡らしたハンドタオルで擦って垢を洗い流す動作をしてしまうのは、俺もみことチャンも同じでした。(きっと俺は手を入れてムスコ周辺も洗ってたし、同じようにみことチャンも洗ってたんじゃない?)
そして衣類も洗濯しました。この時、みことチャンが(俺が前夜にオカズにした)白パンツもゴシゴシと洗っていた時に、俺とぱっと眼があって・・「あっち向いてww」と手にもってたパンツを、バチャン♪と川の中に隠した時は、鬼クソ可愛かったです。
すべてお互いへの信頼感の芽生えを感じるひと時でした。
結局、二人の衣類は大きな石の上に並べて乾かす事にし、石ころの上には俺のトランクス、みことチャンのパンツ、俺のTシャツ、みことチャンのキャミソール等が並べて干されていたのです。(この時、下着を見られて恥ずかしいとかは消えていた)
そしてF寺を出る前に買ってきた鯛めしをここで食べようという事になり、そこで昼食。二人で「釣り竿でもあれば川魚でも釣れたかな?wなんて話をし、「もはや遍路じゃなく、サバイバル化してるwww」と二人で笑ったものです。
そして昼飯を食べて、少しの時間を俺たちは川のせせらぎを聞きながら過ごし、そしてまた次の目的地へと歩いていったのです。
すると、、夕立っていうのでしょうか。
急にゴロゴロ・・・・と空が鳴りだし、ドジャアアアアアア!!!!!!!!!と猛烈な雷雨に晒されてしまったのです。せっかく乾かした衣服もまた濡れてしまい・・。
本当にこの遍路という道のりが平坦な道でない事を悟った瞬間でした。それでも俺たちは雨に打たれながら前を一歩一歩と歩いていたのですが・・・。
グスッ・・グズッ・・・と聞こえるのです。
俺がふとみことチャンを見ると、みことチャンは泣いていたのです・・・。
分かるような気がする。泣けるものなら俺も泣きたい。楽しいばかりじゃないんです。足は本当に痛いし、靴擦れで捲れた皮の中の生肉まで擦って歩かないといけないんです。ただ無情なまでに前を進むだけ。なんのためにこんなバカげたことをやってるのか?と何度も自問自答したくなる瞬間が訪れるんです。
俺はみことチャンに聞きました「帰りたくなった?」と。
するとみことチャンは答えました「足痛い・・もう動きたくない。。。」
初めて彼女が泣き言をいった瞬間でもありました。俺もそうですけど、このハードなサバイバル遍路を平然とへらへら笑って出来る人間なんていないんですよ。
無情なまでに降り続ける雨。立ち尽くす二人・・・。
俺「あ、そうだ。」
といって荷物をまさぐりだし・・・俺は遍路の道では音楽を聞かないって決めてるとiPodを家に置いてきたみことチャンの前で、ネット検索したのでした。
検索したのはyoutube そして・・・ 尾崎豊の「OH MY LITTLE GIRL」
最初のBGMが流れてきた段階でボリュームを最大限にし、、、、、「行こうか」と俺は声をかけました。
そして二人、またテクテクと歩いていく俺たち・・・。
読者の皆さん youtubeでOH MY LITTLE GIRLです。ここからはBGMをかけながらの読書をお願いします。
BGM♪♪♪ BGM♪♪♪ BGM♪♪♪ BGM♪♪♪ BGM♪♪♪ BGM♪♪♪ BGM♪♪♪
容赦なく雨に打たれる。歩いていく俺たち。そして自然と手をつなぐ俺たち・・・。
そして・・・曲が終わるころ、俺とみことチャンは土砂降りの河原の砂利道で。。。遍路笠をかぶったまま。。。キスをしたのでした。
尾崎豊の歌は2番の歌に差し掛かっていました。
相手のカラダを抱きしめ・・・1分、2分、、、熱いディープキスを重ねていく俺たち。。。
俺は心から、この素晴らしいムード、雰囲気、なんていっていいか言葉では表せないくらい、素晴らしい。。。そんな環境の中で、、二人の愛を確かめ合っていました。
BGM終了♪
でも、いっても俺は男。。。下半身が勃起してきちゃって・・・・www
すぐに南無大師遍照金剛のハッピでテントを隠したものです(笑)
すると一瞬の通り雨だったのか。それはまた青空の光が差し込んでいました。
この瞬間、言葉こそ交わしていないものの。。。。カップルとは言いません。付き合ったとも言いません。ただ俺とみことチャンはかけがえの無い存在である事を確かめ、また歩いていったのです。
ずっと手をつなぎながら。
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