待っている人、いるのかわかりませんが、続きです。
私が大学二年、20才になり、さち子さんが47才のときでした。
プヨプヨしてて、抱き心地の良さに魅了されたのと、たまにご馳走になる晩御飯の美味しさに、私はもうさち子さん以外有り得ない、結婚したいと若さ故の浅はかな考えから、卒業したら結婚したいと、お願いしたんです。
それまで優しい態度のさち子さんは、キッパリハッキリと、拒否しました。
これ以上の関係求めるなら、即別れると言われて、驚きました。
私は諭されました。
輝義君より年上の息子に、貴方をお父さんと呼ばせるの?そんなこと出来ないし、私にその気はない、それ以前に、貴方が卒業したら私、別れるつもりでいる、貴方の将来を思うと、それがいいし、私にも考えた人生設計がある、結婚となると簡単にはいかないの、かなり厳しい口調でした。
別れられたくない、その思いから一応わかったふりをしましたが、私は若さからか、さち子さん一点しか見据えてませんでした。
コンドーム着きエッチを強要されてましたが、ある日、私は既成事実を作ってしまえばとの行動に出ました。
最中にコンドームを外し、ぺニスを挿入したんです。
「あ、こら!だめ」
でも私はさち子さんをがっちり抱きしめ、夢中で腰を動かしました。
当時私の性の知識は浅はかで、生理上がる前ならさち子さん、妊娠させられると考えての暴挙です。
20才対47才、さち子さんはもがきながも私を振りほどくには至らず、私はさち子さんに精を送り込んだのです。
それで訴えられたり、機嫌損ねて別れられたらそれで仕方ない、そう覚悟の上でした。
膣から溢れてくる精を手にしたさち子さんは、大人でした。
怒るでもなく、慌てるでもなく、実に冷静、いや冷たいって感じで私を見据えました。
「こうゆうことしてね、傷つくのは女なのよ?わかる?」
別れを告げられる、そう覚悟しました。
でも違いました。
「多分、あくまで多分としか言えないけど、大丈夫なはずだから」
さち子さんから教えられたんです。
女は年齢重ねると、卵子の老化やら受精しても着床せず、妊娠に至らないことがほとんどだ、ということ。
でもね、万が一があったら、私がどんだけ傷つくか、息子になんていわれるか、考えなさいと言われたんです。
卒業まで今のままがいいか、それが出来ないって言うなら、今すぐ別れますのを迫られました。
私の答えは、そのまま、それしかありませんでした。
自分のガキンチョぶりと知識の拙さ、考えの浅はかさが恥ずかしい気持ちでした。
それを言うと、冷静、冷たい感じだったさち子さんが、少し微笑んでくれて、わかってくれてありがとうと、抱きしめてくれました。
そして私は、さち子さんの良さを、改めて知る機会を得ました。
大学の友人との旅行、そこには歓楽街があり、ソープに行こうとなりました。
さち子さんしか知らない私です。
ソープのお姉さんは綺麗で若く、比べたらさち子さんに申し訳ないと思いながらも、やはり比べてしまうのです。
スタイル抜群、でも愛撫したときの反応とか、やはり商売と思ってるせいかつまらない、そう思ったのと、アソコの締まりや具合など、私はさち子さんとしてるときの方が、断然いいと思い、お金の無駄遣いしたなって気分で落ち込んでました。
コンドーム外し事件以降、さち子さんの許可あれば、コンドーム無しも時々ありました。
それを除いても、総合してさち子さんがいい、そう思ったんです。
旅行から帰ると即さち子さんちに直行、その良さを実感しました。
包み込むよう、くるみ込むようにぺニスをキュッと優しく締める、その具合がなんとも絶妙と感じました。
さち子さん以外を知り、改めてその良さを実感すると、卒業まではご厄介になろう、それまでは手離さないでいたい、そう思ったんです。
そしてそれは、卒業まで続きました。
22才になっていた私は、自ら次のステップに進むからと、さち子さんに別れを告げました。
さち子さんは笑顔で送ってくれました。
何百回、さち子さんとエッチしただろう、あれがかなったら私、今妻とこうして過ごせていただろうか?
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