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2019/08/28 21:39:10
(HHGxPmXW)
これといってなんの取り柄もない僕ですが、ただ一つだけ数奇な体験をしたことがあります。
いや、当時はその出来事の当事者でしたから思い白いもなにもなかったのですが、ともかく始めて行きたいと思います。ご縁あれば読んでみてください。
僕は高校3年の頃、学校を卒業したらすぐに働きに行こうと考えていました。もともと車やバイクが好きだったので国家資格として整備士免許がほしかったのです。
ですが、父親がいう「なんでもいいから大学くらい行け!金は出してやるから!」との強い押しに負けてしまい、僕はいやいや大学へ進学することになりました。
選んだ大学は家から近く、入学は楽(卒業は困難)といわれている仏教系大学でした。理由は最初から卒業まで続けるつもりもなかったし、どうせなら家から近くてなんとなく楽っぽいトコにしよう。っていう狙いがあったからです。(僕は仏教に興味があるわけでもなんでもありません)
予想通り、僕程度の頭しかない連中でも簡単に合格しちゃいました。噂によれば定員割れしたとかなんだとか。
そして入学してから通い始めたのはいいのですが、仏教系大学っていっても所詮は10代20代の集まりなので見た感じは普通の大学とかわりません。
もちろん寺の息子とかもいますし、一部、剃髪して真剣に寺を継ぐために真剣に学びに来ている連中もいるのは居ますが、そういう系のやつのほが少数派だったのです。(ほとんどは哲学、歴史とか民俗学に興味がある連中が多かったです)
そんな中で僕が「佐伯煕子」(さえきひろこ)と知り合ったのはとある選択授業でのことでした。たしか心理学か何かだったと記憶しております。
その時の佐伯さんは、和顔っていうんですかね、ほんと純粋な日本人顔。一重まぶたが似合う子っていうんでしょうか。けっして悪い子ではありませんでした。(本人曰くコケシ顔)
たまたま、そんな佐伯さんが僕の席の隣にすわり授業が始まったのですが、実は僕は軽い不整脈を持っていまして、そんなときに限って心臓がバクバクしてきたんです。
すると隣の佐伯さんが紙にメモ書きして「顔色悪いよ。大丈夫?」と渡してきたんです。
僕からすれば(ああ、いつもの不整脈か)ってことなので「問題ない。大乗仏教」ってメモ書きして返したら佐伯さんはどうやらゲラみたいで真剣な場所での笑いという展開が弱いそうでした。プププと含み笑いをしていたのです。
結果、僕たちはそれをキッカケに仲良くなっていったのです。そして、、、ほどなくして交際がはじまりました。
当時、佐伯さんはこういってました。
「家が禅宗の寺で長兄も次兄も両方出家しているんだよね。私は出家するつもりはさらさらないんだけど、家の稼業を手伝わないといけないのでそれを見据えてこの大学を選んだんだ。」
といってました。
事実、佐伯さんは大学を卒業したあと、実家の家業のお寺の系列の総本山(みたいな場所)で宗務院っていう寺の事務職に就いたそうです。
とはいっても、当時の佐伯さんも僕も、いっても18歳の若者でした。大学の授業が終われば帰りに繁華街に行ったり買い物にいったり、飲みにも行ったり、手を繋いで普通にデートしたりしてたのです。
僕も相手が寺の娘である以上、もしこの交際が長く続いて相手の親に挨拶とかになればどうしたらいいのかなぁ、、なんて考えてもいましたが、そもそも佐伯さんが「付き合うとかバレたら勘当されるので、内密のままでいいよw」といってたので、僕も(ま、、いっかw)とおもっていたのです。
そんな理由もあって、僕からすれば佐伯煕子という同い年の彼女は、ただ出自がお寺サンなだけで、中身はどこにでもいる普通の女の子という立場で付き合っていたのです。
ですが佐伯さんの立場に立ってみると、もしこの先、自分が剃髪し、僧侶となる人生が待っている。ということをこの時点でわかっていなたら、決して僕を相手に様々な事(Hなこと)はしなかっただろうとおもうのです。
さて、長く引っ張ってしまったのでそんな佐伯さんとの初体験のお話をしてみようと思います。
佐伯さんと初体験をしたのは付き合ってから3ヶ月目だったと記憶しております。
付き合ったのが6月だったので単純計算すれば9月の残暑で蒸し暑い日が続く頃でした。
佐伯さんは(やっぱ寺の娘ということもあってか)肌を露出させる系の服装は一切しない子でした。ロングスカートかジーンズ。これが彼女の定番だったのです。
また実家から通っていたのでお泊りをする事もありませんでした。そして僕自身も実家から通っていたので寺の娘を家に連れて帰る事もできなかったのです。(親たちに根掘り葉掘り聞かれるから)
そんな僕は、人のいない河川敷などでキスをしながら燃えてしまい、ちょっと身体に触れようものなら「ここ外だよ!何しようとしてるの!」って言われてしまうのです。
そんな理由があって、自ずとHな事をするチャンスは車の中でしかありませんでした。すでに申し上げたとおり、僕は車大好き人間だったので免許も持っていたし、未分不相応にもエスティマを所有していたのです。(名義は親でしたけど)
なので初体験は車の中となるのは自然の成り行きだったのです。