元カノと呼べる女の子は何人かいますが、忘れられない元カノは一人だけです。
それは、人生で二人目の彼女、大学三年の五月に出会い、大学卒業と共に別れた彼女です。
性欲だけじゃない、心も通い合ったセックス、それは愛のあるセックスでした。
男だから、溜れば出したいと思いましたが、彼女に対しては、性欲よりも一緒にいたいと思う気持ちの方が強かったです。
彼女は、物凄い美人とかではありませんでしたが、可憐な可愛さがありました。
同学年の女子大生で、お互い人生二人目の恋人で、一人目の時とは明らかに恋愛への向き合い方が違う点でも同じでした。
毎日、講義が終わるとどちらかの部屋でセックスしていました。
一緒にお風呂に入って、彼女のオマンコを広げて舐めました。
可愛いピンクのオマンコ帆思い切り広げられて、彼女はとても恥ずかしそうにしていました。
そんな、嫁入り前の乙女が羞恥の格好を見せてもらえる立場に居られることが、とても嬉しかったのです。
女の子の最も恥ずかしい場所を舐められる喜び、そして、その刺激に感じて淫らな反応を見せてくれる彼女がとても愛しく思えました。
そして、彼女がして呉れたフェラは、愛情がひしひしと伝わるものでした。
私たちは、一つに繋がった時、ゴムの隔たりが悲しくなって、大学三年の秋頃から、コンドームを使わなくなりました。
オマンコとペニスが直接触れ合うと、二人は溶け合って一つの生き物になるような気持ちになりました。
挿入後、抱き合って動かずキスしていると、自然にもぞもぞ腰が震え、身体をくねらせて絡み合いました。
射精は彼女のお腹に、おへそめがけてピュピュピュと出しました。
私の精液を浴びた彼女は、こぼれないように手で押さえてくれました。
講義が休講になると、約1時間半の空き時間にアパートに戻って、そそくさとセックスしたこともありました。
この時はお風呂に入る時間はないから、勲位とフェラ抜きで、お互い弄り合ってから一つになっていました。
大学に戻ると、学友は上気した彼女を見て、ヤッて来たことを悟り、ニヤニヤしていました。
大学四年になると、講義もまばらで卒論に集中するようになりました。
そうなると、一週間交代でお互いのアパートで一緒に暮らすようになりました。
お互い、就活で実家に戻っていましたから、卒業すればそれぞれの地元に戻る、すなわち別れが来ることは察していました。
一緒に暮らして、一日何度もセックスしていた私たちは、毎日、お別れまでのカウンターが一日ずつ減っていくのを感じながら、刹那の快楽に酔い痴れていました。
別れの時が近づくにつれ、お互い、アパートの荷物を整理し始めました。
持って帰るもの、後輩に譲るもの、処分するもの、少しずつ部屋が殺風景になっていきました。
そして別れの時、アパートを引き払って、東京駅の近くのホテルで最後の夜を過ごしました。
あの最後のセックスは、今も忘れられません。
あんなに愛し合っていたのに、幸せだったのに、どうして別れなければならないのか、切なさよりも悔しさがありました。
このまま彼女を連れて帰れたら、どんなに幸せだろうと思いました。
お互い長男と長女、ましてや彼女は一人娘、諦めるしかありませんでした。
「さよなら、元気でね・・・」
「君も元気でな。さよなら・・・」
さよならを言ったら、決して振り返らない約束で歩きました。
でも、どうしても最後に一目、彼女を見たくて私は振り返ってしまいました。
私が見たのは、去りゆく彼女の後ろ姿・・・彼女は、一度も振り返ることなく、雑踏に消えました。
「さよなら・・・俺が振り返ったのは、内緒だよ・・・」
そう呟いて、もう、二度と会うことのない彼女に別れを告げました。
そして、私は東北新幹線はやて、彼女は東海道新幹線のぞみ、それぞれ反対方向に相対速度600km/hで離れていきました。
あれからもう15年の歳月が流れました。
別れた時、会いたくなるから連絡しないように決めましたが、一度だけ、彼女からメールが来たことがありました。
それは、2011年3月11日、東北に住む私の安否を心配したメールでした。
通信障害で、届いたのは夜になってからでした。
「僕は無事だよ。」と送って、「よかった。安心した。」と、これが彼女との最後のメールになりました。
毎年、彼女から最後のメールが来たこの季節になると思い出す、彼女と過ごした日々・・・
現在、私には愛する妻がいて、可愛い子供たちもいますが、私にとって彼女は、今でもかけがえのない女性です。
辛いとき、苦しいとき、彼女が私の心の支えになっています。
毎年、この時期になると彼女は元気かな、幸せでいてくれるかなと、彼女の今に思いを馳せるのです。
今年も、親愛なる彼女の息災を願います。