大学時代の元カノは、処女と童貞を捧げ合った相手です。
特に美人ってわけじゃないけど、飾らない雰囲気が可愛らしい娘でした。
大学に入ってすぐに知り合って、何となくいい感じになりました。
田舎から出てきてアパート暮らし、
「どんな所に住んでるの?」
教えあったらご近所さんでした。
ニュ額からひと月で連休、お互いの部屋を行ったり来たり、一緒にご飯食べて、慣れないお酒飲んで、酔った勢いでキスして、服の上から乳房を揉んだら、
「シャワー、浴びてからにして・・・」
と元カノが言って、ああ、これからセックスするんだと思いました。
初めて生で女性の裸見て、すごく興奮しました。
「見せっこしようよ。」
なんて、私は中学生のような発言をしました。
「い、いいよ・・・」
生まれて初めて見た女性器、指で広げると大陰唇と小陰唇がピンクのバラみたいでした。
元カノも私の陰茎を弄っていました。
いわゆる69の体制で、お互いの性器を観察しました。
そこから、自然い舐めあい、69でクンニとフェラ、そして元カノがコンドームを取り出して、
「これだけはちゃんとしてね。」
と私に手渡し、生まれて初めてコンドームを装着しました。
ゆっくり入れましたが、途中、やけに狭いところがあって、それが処女膜だったわけで、ゆっくり力をかければいいものを、私は体重をかけてしまいました。
ゴリっという感触で一気に根元まで入って、元カノはヒッと声を上げました。
一気に入って、痛かったんでしょうね。
抱き合って、キスしているうち興奮して、自然に腰が動きましたが、元カノ、処女膜破れたばかりで相当痛かったんだと思います。
でも、童貞の私も長持ちせず、3分くらいでお漏らししました。
処女喪失したばかりの元カノに、私は翌日も、そのまた翌日も、連休中ずっと求めました。
元カノは嫌な顔せず応じてくれて、3回目あたりから出血も無くなり、連休最後の日は1日中裸で過ごし、4、5回セックスしました。
若い二人が知ってしまった蜜の味、もう、サカリが付いてしまってやりまくりでした。
毎日どちらかの部屋にお泊りしてたから、半同棲状態でした。
2年生になると、元カノはクンニでクリ逝きすることを覚え、ベッドに入ると愛撫抜きで大股を開いて女性器丸晒しにして、クンニのおねだりをするようになりました。
点縁あ元カノは、大学で授業が終わると、私の腕をつかんで、
「早く帰ってエッチしようよ。」
と言って、周りの学友をドン引きさせたこともありました。
3年生になると、コンドームを使わず生セックスで外出し、元カノに生理が来るとそのまま中に出してました。
平日は多くても2発でしたが、休日に天気が悪くてデートに行けないと、1日に5発も6発もやってて、お股がヒリヒリになっていました。
やり過ぎて、カリから血が滲んだこともありました。
元カノとは、大学の4年間で1,000回以上やったと思います。
元カノのバラのような女性器もピンクから薄紫になり、閉じたときに少しはみ出るようになりました。
長男でない私はそのまま東京に就職しましたが、元カノは、両親と何度も話し合いましたが、結局、地元の市役所に就職が決まり、お別れが決定しました。
本当に優しくて、いい娘でした。
4年間の後半は、夫婦みたいな暮らしをしていましたから、お別れは身を引き裂かれるような思いでした。
「元気でね。」
と言って駅で元カノを見送りましたが、「元気でね」って、「もう会えないけど元気でいてね」ってことだと気が付いて、涙が溢れました。
あれから何年もの時間が過ぎて、まだ子供だった大学生から少しは大人になってアラサーの社会人となり、彼女も何人か変わりました。
それでも、あの初めての元カノと歩いた街角を歩いたり、よく行ったお店の前を通ると、元カノの姿が目に浮かんでしまいます。
振り向くと、そこに元カノが立っているような気がします。
特に、新宿駅のホームで特急電車を案内するアナウンスを聞くと、元カノを見送ったときの気持ちに戻って、耳に「元気でね」っていう声が聞こえて胸が苦しくなります。
今、結婚を考えている彼女がいます。
それでもあの元カノのことは忘れられないのは、きっと、忘れたくないからだと思います。
私にとって大切で、二度と戻ることのない4年間の萌えた思い出です。
元カノは、もう結婚したでしょうね。
幸せでいるといいなと思います。