子供の頃、両親が借金返済の目的で私をロリコン相手のヌード写真集やビデオ撮影に出演させていた。恥ずかしくてとても嫌だったけど、父が土下座し、母が冷たく突き放す様に言うので覚悟を決めて撮影に臨んだ。当時はまだチャイルドポルノの規制が無くて。書店では少女の性器がハッキリと写ったヌード写真集が売られていたし、ロリコンの月刊誌も有った。ヘアヌードはまだ無かったけど、女の子のワレメに規制は無かった。マンコが丸出しでも子供だから規制対象外だった。私は始めに単独の写真集で少し人気になり、その後、他の子と二人でイメージビデオの名でワレメ丸出しの作品を出して、その宣伝の為にロリコン月刊誌にヌードグラビアが載り、少女ヌードの巨匠写真家に指命されていくつかの写真集を出した。その写真家は全裸の少女と大人の男性や中・高生位の少年とのツーショットが好みのシチュエーションだった。単独や女の子との撮影と違い男の人との共演はとても恥ずかしくて辛かった。ボートの上でM字開脚し成人男性が私の股間を凝視する撮影の時には羞恥心で逃げ出したくなった。しゃがんだ男性の眼前に立ち、股間を見せる撮影や、仰向けに寝て開脚した私に股がる様にする撮影もとても恥ずかしかった。でもそれらは男性モデルが着衣だったのでまだ良かった。ビキニ海パンの少年や越中ふんどしの青年モデルは私のワレメを見て勃起していて恐怖心を覚えた。ビキニ海パンの少年は中学生で勃起が収まらず撮影が中断した。終了後にデレデレしながら「ごめんね。」と言いに来たけど、視線は私の股間に集中していたし(両手で隠してた)、越中ふんどしの青年は二十歳で撮影中に射精してしまった。あの時の精液の臭いがトラウマになり、その後付き合った彼氏や夫にフェラチオしても射精の寸前にしゃぶるのを止めるのし、精液を飲めないし、顔射・口内射精お断りなので不満に思われがちなの。両親は結局離婚し私が自立後は会っていない。