とうとう一線を越えてしまいました私〈亜沙美〉三人の子を持つ四十女旦那は三つ年上です今現在長男は十八才関係を持ってしまったのはその長男です親としてあり得ない行為です受け入れてはならないと頭では理解しておりましたが。。。名前は和久とします私の半生の紹介も交えながら。。。高校は県内偏差値の低い町立高校を卒業しました初体験は高二の時当時の彼氏〈奏太〉初めてできた彼氏でした一年間位でフラれました後に出てきますが私の理想の男性です奏ちゃんの前も後も言い寄ってくる男はたくさんいましたが、私は自分に自信が無く深い仲に成ることを避けていました自分で申し上げるのも恐縮ですが、見た目はそんなに悪くないらしいですよ(笑)母がウクライナ人なのでハーフです当時は西日本ナンバーワンの異名を轟かせた(本人談)航海士の父が惚れ込んだそれはそれは美人の母でした父がお酒さえ控えれれば今とは環境もだいぶ変わったていたと思います高校を卒業し奏ちゃんへの気持ちもだいぶ和らいだ時に旦那と出会いました直ぐに和久が産まれ次に長女を出産した位に父が船からおりました中学出てから船に乗っていた父は陸に居場所はなく酒浸りの毎日母が近所のスナックで毎晩働いてなんとか生活している状態でした両親の住む家が雨漏りから腐食してリフォームをするとのこと借り入れができないのでお金を貸してくれないか?ここから少しおかしくなってきました直前に私達はマンションを購入しており不安があったけど私も旦那に頭を下げ借り入れの保証人プラス預貯金あらせて六百万弱を両親に都合しました両親の死後はその家を相続する。と約束をして。結局リフォームもされずお金を持って両親は姿を消しました。それからでした何か事がある度に旦那が両親の事を引き合いに出し私を罵倒するようになり、長女が万引きで捕まった時は思い出せない位に酷い言葉を浴びせられました人間って嫌なことは忘れるようにできてるんですねそんな私を見て育った長男は「僕が立派になって母さんと弟妹を養う」と言い出しました。学校と家での合計したらたぶん18時間は勉強してたのでは?高校も特別クラスで授業料はもちろん学校に支払うお金は0ですそれどころか、塾の費用も学校が出してくれてましたバスで通う距離の通学も自転車でこなしバス代を貯め毎年母の日にプレゼントをくれますルンバ、電動自転車、美顔器でしたそんな頼もしく心優しい息子ですが。。。困った事が恋愛対象?性の対象?が私なんです小学生まではまだまだ甘えてるだけ。幼いなぁ~。と楽観視してました。中学に上がるのを期に一緒にお風呂に入るのを止めました。その時の息子の落胆した顔が今でも頭から離れませんそれから息子は隙あらば身体を触ってくるようになりました
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ショーツ内射精以来和久は開き直ったのか?お尻へのタッチが手のひらになりました「バレた」事に気づいたようでしたリビングでは家族が団らんしているので声に出しては注意しませんが、嫌な顔してお尻を引っ込めるくらいはしておりましたショーツは手洗いし部屋に干しといて翌朝回す直前に洗濯機に入れる様にしました夏休みに入ったある日旦那は仕事チビ二人は遊びに行ってて家には和久と二人でしたお昼の洗い物をしていると和久がまた冷蔵庫へ「来るぞ来るぞぉ~」ほら来た!「えっ!両手?」流石に振り返り「ちょっと!いい加減にしなさい!」『えっ?なんで?』「なんで?ってあんた!お尻とか触ったらいかんやろ?」『なんで?母さんのだよ?おっぱいだって見たし飲んでたんだよ』(たしかに。。。おっぱいに比べれば。。。)「うっ。。。てか、あんたもう中学生よ。いいのは赤ちゃんまで!」『お風呂入ってた時もお尻とかおっぱいとか触ってたし!』「うっ。。。てか駄目なものは駄目なの!」和久の顔色がみるみる変化してあのときと同じ顔にそう、お風呂を別にした時の落胆した悲しい顔『母さん大好き。母さんと弟妹は僕が守る!』と頑張る優しい和久正直お尻位はいいかな?って気持ちが芽生えました奏ちゃんも『童貞奪ってみれば?』って本気か冗談か?わからない発言してたし(駄目駄目!)と、自分に言い聞かせましたその後も冷蔵庫帰りの痴漢行為は続きましたがお尻を引っ込めるくらいで厳しくは叱りませんでした時々ブラジャーやブラトップ付きのキャミソールに精液が付着していた事がありましたがそのくらいはと触れずに過ごしました今思えばそれらも注意しとくべきでしたが後の祭りです月日は流れ合格通知が受験した高校全てから届きました和久が選んだ学校は例のお金のかからない高校でした「そのくらいのお金はあるから」と一番偏差値の高い高校を進めましたが、『どこでもかまわない自分でやれる』と頑として聞く耳もちませんでした 入学説明会の後クラス別の説明会帰りに和久と二人で車の中「お祝いに大好きなお寿司食べてその後買い物に行こう」食べ終わり「何が欲しい?何処に買いに行く?」帰ってきた返事に耳を疑いました『母さんが欲しい』力強くハッキリとそう聞こえました「冗談はやめて。もう何も買ってあげないよ?」『ぢゃぁ、何もいらない』私は不安になりました動揺を抑え努めて冷静に「母さんが欲しいって母さんは貴方の母さんよ。もう貴方のものでしょ?何バカなこといってるの?」『小学生の時みたいにお風呂に入ったり、一緒に寝たりしたい』
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