私にとって、ある種の尿は汚いものではない。
愛には身体を通したものや精神的なもの、あるいは快感に酔いしれているその瞬間だけに抱くものなど様々な愛があると思うが、どんな形の愛であれ、私がそれを抱いている人の尿を口にできる。
しかし、「では、君は飲尿ができるのかね?」と問われればノーと答えよう。
身体能力的に飲尿することができないのだ。
私は数年前、顔面騎乗位で飲尿をさせられたことがある。予告も予感もなしだ。
尿が口に入ってきた瞬間、即座にそれを理解し、喉をゴクゴクとならしながら頑張ったが、放尿とはなかなか勢いのあるもので、放出される速度に飲み込む速度がついていかず、尿の大部分をこぼすだけに止まらず尿が気管に入ったことがある。
溺死するかと思った。
私がMである程度何でも受け入れることを知ると、「私のおしっこ飲める?」なんて尋ねてくる人がいて、僕は意地とチャレンジ的精神と多少の欲望で「飲める」と答える。しかし、その中のほとんどがそれを試みようとはしない。
数ヶ月前、当時私を愛でていた女性が「おしっこ飲める?」と聞いてきた。僕はいつものようにイエスと答えた。しかし、それまでと違ったのは、実際に股関を私の顔に近づけてきたこと。
私は彼女の目を見れば彼女が何を考えているかは理解できるようになっていたのだが、一応聞いてみた。
「お風呂じゃなくて、ここで?」
答えは予想どおり。
「うん、全部飲めば良いんだよ。こぼしちゃ駄目だよ」
そう言って楽しそうに笑いながら、私の口に股関を押しつけたのでした。
私は彼女の尿を飲む覚悟と、髪の毛とベッドをびちょびちょにしてしまう覚悟をし、尿を受け入れた。
すると、彼女はちょうど一口分くらいの尿を出したところで止め、私に尋ねた。
「どう?美味しい?」
私は「しょっぱい」と答えた。
「じゃあ、このまま全部出すから零さないでね」
私は首を横に振った。
すると彼女は楽しそうに私の手を取り、お風呂に連れて行き、私が手で尿を受け止めてそれを飲むように言った。
私は少々それをサボりながらも手の中の尿を口に流し込んだのだった。
私にとってその尿は汚いものだし、それをする彼女の楽しそうな行動は好きだったが、やはり尿を飲むのは辛かった。だから、僕は飲尿はできない人間なのだ。
更にその前に私が申し出て行ったあの遊びが懐かしかった。
デート中、彼女がおしっこをする度に私がトイレットペーパー代わりに尿を舐めとるのだ。尿を舐め終わった後も分泌される液体を止められるまで夢中になって舐めたものだ。もちろん、その後にトイレットペーパーで拭き取るから私の役割は皆無だけどね。
これはプチ飲尿。
私は飲尿は好きじゃないが、プチ飲尿は好きだったし、それをしている間は幸せな気分だったな。
もう、その頃のようには戻れないのだろうな。