県庁所在地に来たのは、10年ぶりでした。
息子が県庁所在地にある国立大に進学が決まって、アパートを決めるためにやってきました。
この街には、10年前まで付き合ってた、彼が住んでいるはずです。
住所と連絡先はまだアドレスに残ってます。
持ち家だったから、引っ越してないと思うし、彼はまだそこに住んでいると思います。
たぶん、息子も何となく覚えているんじゃないかと思います。
この街の短大に進学して、そのまま就職、そして元夫に出会い、息子を出産しました。
私が32歳で離婚して、今度小学生になる息子と二人、早いうちに一度PTAの役員やっておけばあとはやらなくていいと聞いていたから、1年生のうちに役員をしました。
その沖、イ所に役員をしたのが彼でした。
離婚して母子家庭になって、一番辛かった時に一緒に居てくれたのが、父子家庭だった彼と息子の同級生だった娘さんでした。
彼は当時35歳、父子家庭になって3年で、娘さんは彼にベッタリでした、
付き合ったのは、2年でした。
お互い片親だったから、色々助け合っているうち、男女の関係になりました。
彼の家で子供たちが遊んでて、遊び疲れて寝てしまった後、彼に抱き寄せられ、キス、そして、kれに抱かれました。
下だけ脱いだ格好で、お互いの股間を弄り合い、生のまま結ばれました。
元夫とは違うおちんちん、ググっと腰を入れられて、思わず声が漏れました。
私の喘ぎをキスで塞がれ、彼は腰を振りました。
仲に出されることはなく、服をまくってお腹に射精、凄く幸せを感じました。
二人は夢中になって、毎週1回連絡し合って、平日の午後、お互いに2時間ほど休暇を取って会い、ラブホで愛し合うときは、一緒にお風呂に入って、クンニとフェラを楽しみました。
彼にアソコを舐められて、感じて喘ぐ悦び、彼のおちんちんをフェラする歓び、素っ裸で抱き合い、アソコを貫かれ、掻き回されて、幸せな快感に酔い痴れました。
その時だけは、色んな不幸な出来事を忘れられました。
仰け反って、淫らに喘ぎ乱れる姿を彼に見られて、その恥ずかしさがまた快感を呼びました。
私たちは、再婚を意識するようになりました。
子供たちも仲良しで、土日は彼の家にお泊りして、家族団らんのような一夜を過ごしました。
息子は彼の娘さんの部屋で寝て、私は彼の部屋で、もちろん抱かれました。
「まるで家族ね。夫婦みたい。」
「紺会暮らしもいいかもな・・・」
彼に抱かれる土曜の夜、日曜の朝、目覚めると隣に彼が寝てる幸せ、これが毎日だったらどんなに嬉しいかなんて思いながら、午後3時頃、彼の家から帰り、買い物をして、帰宅しました。
息子が小2になってから、せき込むことが多くなってきて、秋の頃、病院に行きました。
診断は喘息でした。
投薬で治療を試みましたが、改善の見通しはなく、悪化するばかり、医師に、空気がきれいなところで療養しながら治療した方がいいと言われました。
地方都市でも県庁所在地はそこそこの都会、田舎に比べ垂れ空気がきれいとは言い切れません。
私は、実家のある田舎で求人があったので、田舎に帰ることにしました。
学童保育が充実していない田舎では、息子は両親が面倒見てくれるそうで、私は、やむなく彼を諦め、彼に別れを告げました。
「そうか・・・残念だな。でも、息子さんのことを考えたら、いい選択なんだろうな。ただ、蒸すmにはどう伝えようかな・・・」
結局、息子が彼の娘さんに別れを告げました。
最後のお泊りの土曜日、お別れ会をしました。
その時の写真、家族みたいな最後の団欒風景、子供たちと彼が大笑いしてる写真は、息子の部屋の箪笥の上に飾ってあります。
それを見る度、彼のことを思い出していました。
翌日曜日、引っ越し荷物を実家へ送り、私の軽自動車で県庁所在地から田舎まで少しの長旅、
「それじゃあ、私たち、行くね。いろいろお世話になりました。さよなら。元気でね。」
「息子さん、よくなるといいな。君も、元気でな。さよなら。」
車に乗り込むと、助手席の息子が彼の娘さんに向かって手を振り、
「さよーならー」
娘さんも手を振って、
「バオバーイ」
息子、目に涙をいっぱい溜めてました。
小学2年で県庁所在地を去り、小学3年から田舎の学校へ転校した息子は、日に日に容体が良くなり、中学の時にはサッカー部に入り頑張ってました。
最初は足が速かったから、サイドバックでしたが、背がグングン伸びて、卒業するときはセンターバックやってました。
高校でもサッカーを続けてましたが、田舎の高校じゃ都市部のきょう後には敵いませんでした。
仕事と子育てで忙殺して、彼とのラインもインターバルが開くようになり、いつしか音信不通になって久しいです。
息子と10年ぶりに県庁所在地に来て、なるほど空気が汚いなと感じました。
もし、息子が彼に会いたいと言ったら、訪ねてみようと思いましたが、息子は何も言い出さなかったから、アパートを決めて帰ってきました。
一目、彼に会ってみたいという子持ちはあれど、今更感が強すぎました。
最後のラインはもう6年前、それも半年ぶりのラインで、中学入学おめでとうラインでした。
彼のことは今でも忘れられないけど、彼とどうこうなりたいわけじゃなく、一番つらいときにっ冴えてくれたことを感謝したいし、どれだけ幸せだったかを伝えたいだけでした。
ラインであけおめじゃなく、せめて年賀状くらい出してれば、近況を知っていれば、会いに行くハードルがもっと低かったのかもしれません。
会いに行って、再婚した奥様と幸せそうにしてたら、凹むと思うし、娘さんが思春期を迎える前に、新しいお母さんを迎えてるように思います。
今では、年賀状を出すだけの理由もありません。
彼は、もう昔の元彼になっています。
10年ですから・・・