生まれてはじめて「僕は幸せ」と思えた人だった。
逆三角形でスッとした顎のライン、凛々しい別嬪さんだった。
大きくはないけどツンと上を向いた乳房、コリコリの乳首、たまらなかった。
キュッとくびれた腰、プリッとしたヒップ、そそった。
縦長の切れ目から少しはみ出た襞が卑猥で、でも、広げると桃色の海が広がった。
交わるのはいつも生、安全日以外は中には出さなかったけど、生でするって愛だけじゃなく、信頼関係の証だと感じた。
安全日の中出し精液がこぼれ落ちる穴を覗き込む君・・・目を閉じると瞼に浮かぶよ。
君は僕の生きがいだった。
あの日、高波が僕たちの街を襲った。
僕たちの住む集落は比較的高台にあったから、大勢の人々が逃げてきた。
助け合う僕たちだったが、発電所が吹っ飛んだ。
助け合っていた僕たちは、我先にと逃げ出した。
僕と君は一緒に逃げようとしたけど、両親に引き裂かれ、僕は伯父が住む福島市へ、君は、お父さんの実家がある群馬県桐生市へ・・・
手を取り合って逃げようとした僕と君に、君の両親は、
「そんな田舎のデクノボウについて行っても未来はない。一緒に本家に行くぞ。」
って言ったんだ。
僕は、デクノボウなんかじゃないと言いたかったけど、言われた僕より両親が激高して、両家最悪の泥沼状態で別れた。
あれから、僕は建設系の高専出身だったから、福島市内にある建設会社に勤めた。
震災復興で、寝る間もない忙しさだった。
海沿いの田舎町から、せっかく私鉄が2路線も走る都会に来たのに、忙しくて遊ぶ暇もなかった。
でも、忙しさが君との哀しい思い出を紛らせてくれたのかも知れなかった。
必死で生きた。
そして、生きることを教えてくれたのは、僕の生きがいだった君だと思った。
前向きに生きるとき、君と過ごしたあの時間が支えになっていることを感じた。
あれから10年過ぎた。
僕はいったい、今どこにいるんだろう・・・
人生の基準があの10年前になってしまってから、居場所がわからなくなった。
様々な色の新幹線が走るたび、立ち止まって眺めていた僕にも、それが日常風景になっていた。
田舎者が地方の都会に慣れて、ICカードで電車に乗って、生まれてからずっと住んでるような顔して生きてる。
どこに行くにはどの鉄道会社に乗るのか、何番線から乗るのかオドオドしてた僕は、今ではターミナルビルのスタバでお茶してる。
5年前、30歳で結婚して、生まれた子供連れて、ビルの谷間のレストランでランチしてる。
田舎にはなかった渋滞まで楽しんでて、ミニバンの後ろでDVD見てる子供たちの笑顔をルームミラーで見て満足している。
僕は変わってしまった。
大都会ではないけど、古里を圧倒する都市機能を満喫し、もう、古里に戻ろうともしていない。
最後に古里の様子を見に戻ったのは、既に7年も前のこと。
君との思い出が蘇らないほど荒廃してた。
あれから、君を思い出す回数も激減した。
もし君と再会したとして、今ではその先を期待することは無い。
10年の時間が、君との綺麗な思い出だけを残した。
再会して、あの泥沼の最後を想い出すのはゴメンだ。
今、どこにいるのか、幸せなのか、そんなことさえ思わなくなった。
古里での25年間は、もう、遠い昔に過ぎた事になっていた。
でも、先週末に10年ぶりに襲ってきた震度6弱・・・
遠い昔が一気に蘇った。
でも、もう、連絡を取ることも、安否さえ知ることもできないと気づいた。
だから、10年の節目に、君と古里にお別れを言おう・・・