大学2年の終わりに、付き合ってた専門学校生が卒業して帰郷して別れた後、友達付き合いしていた同じ大学の同じ学年の裕子に告白されて、付き合い始めた。
俺が告白された側だから、俺が優位に振る舞って良いんだという勘違いで、多少苛めっぽいセックスで辱めたこともあった。
裕子が従順で素直だったというのもあったけど、勝手に裕子にMっぽさを感じてた。
また、別れた専門学校生の元カノは、俺に処女をくれたことを時々口にして、処女あげたんだからと我儘を言う癖があったから、奉仕的に尽くしてくれた裕子をぞんざいに扱ったのかも知れなかった。
裕子をバスタオルで手首と足首を縛ってM字開脚にして、オマンコを拡げて観察したり、クリを苛めて悶えさせたり、恥辱行為をしたこともあった。
裕子は元彼に処女を奪われていたから、アナル処女をくれと言ってアナルを犯し、その後、裕子に生理が来るとアナルセックスを強要していた。
それでも裕子は、俺に会うときはいつでも嬉しそうにして、優しかった。
お互いにセックスも慣れてきて、コンドームしないで生で膣外射精するようになると、抜いて裕子のヘソの上とか胸の辺りに射精すると、裕子は、俺のチンポからビュビュビュビューと精液が出る様子を、不思議そうな表情でジーっと見ているんだけど、それって恥ずかしかったのを覚えている。
でも、射精の瞬間を見ている裕子ももまた、恥ずかしそうな表情で見てた。
若い大学生カップルには、色々恥辱プレイを経験していても、射精という行為には、射精する方も、精液をかけられる方も、羞恥心があったのを覚えている。
裕子も俺も、卒業したら故郷の実家に戻る約束で東京の大学に来ていた。
裕子の実家は新潟の旅館で、将来的には婿養子をもらって跡を継ぐことが暗黙のうちに進学の条件になっていたようだった。
だから、卒業する時にはお別れすることが決定していたけど、最後までその話題を口にすることなく、切ない気持ちのまま別れを迎えた。
いよいよお別れの前日、引っ越し荷物は全て送って、俺達は卒業式のためにホテルに泊まっていた。
最後のセックスを終えて、
「明日で、最後なんだな・・・」
と言うと、裕子が寂しそうに、
「きっと、もう、二度と会うこともないよね・・・」
と言った。
二度と会えない・・・裕子から告白してきたけど、裕子と過ごした2年の歳月で、俺もすっかり裕子に惚れていた。
裕子が大切な女なんだという事に今更気付いて二回戦に突入した。
「裕子!裕子!」
ど名前を呼びながら、二回目の射精を終えて、もう一度シャワーを浴びて三回戦へ。
そして四回戦と思ったけど、もう、勃たなくてしょげていたら、裕子が、
「今日はもういいよ・・・明日の朝、最後のセックスしてお別れしよ・・・」
その時、いつものように嬉しそうな表情で、明日の朝のセックスを楽しみにしている裕子と、ずっと一緒にいたいと思った。
翌朝、最後のセックスをして、最後の膣外射精をジーっと見られて、裕子と上野駅の地下ホームで別れた。
長いエレベーターで、二人寄り添うようにして下りてゆき、最後のコンコースで人目もはばからず、1分くらいの長いキスを交わし、裕子は上越新幹線に、俺は東北新幹線に乗って、お別れした。
あれ以来、二度と裕子と会うことは無く、30年が過ぎた。
今は、東北も上越も東京駅発になって上野に行く機会は少ないけど、上京した時に新幹線が上野駅に停車すると、必ず裕子のことを思い出す。
裕子の前にも後にも、女房に出会うまでいろんな元カノがいたけど、もし結婚できてたら幸せだったろうなあ・・・と心から思える元カノは、裕子だけだ。
心の中の裕子はまだ22歳だけど、52歳の裕子にも会ってみたいような気がする。
きっと、和服の似合う旅館の女将さんになってることだろうな・・・