妻、と言っても内縁ですが、一緒に暮らして10年、今年、お別れしました。
出会ったのは2011年3月、福島県福島市にある避難所でした。
私は当時福島県の沿岸部に住んでいて、大震災で被災しました。
私は職場が海から離れていたので津波からは逃れましたが、妻が犠牲になりました。
子供はちょうど大学進学で上京したばかり、無事でした。
内縁の妻は夫が沿岸部で仕事していて、犠牲になりました。
内縁の妻の子供は既に独立、県外在住でした。
私と内縁の妻は、亡き連れ合いの弔いをすることもできないまま、原発から逃れて福島市へやってきました。
約2か月の避難生活の後、単身者となった私と内縁の妻は、借り上げ住宅へと移りました。
妻はスーパーで、私は沿岸部にいたときと同じ建設系の会社で働き始めました。
小さな単身者向けアパートで、暫く暮らすうち、お隣さんだった内縁の妻と仲良くなり、震災から1年後、淋しさのあまり寄り添い、そして関係しました。
内縁の妻54歳、私48歳でした。
内縁の妻は宮崎美子さんを彷彿とさせる可愛い人で、裸身も似ていて色白ムッチリ、あの、一世を風靡したビキニ姿のCМが頭を過りました。
1年前までは亡き夫のものだったオマンコに、1年前までは亡き妻のものだったペニスを突き立て、閉経したオマンコに精液を注ぎました。
そして、関係して1年後、私たちはアパートを借りて同棲しました。
そして、10年間と時間を決めて、夫と妻になりきって、夫婦として暮らすことにしたのです。
あと10年過ぎれば、妻は家が残る故郷に帰れるだろうという希望の下、期限を切ったのです。
気分は新婚さん、毎晩閉経オマンコに射精しました。
6歳年上の美熟女の豊かな胸が波打ち、ムッチリとした太腿が震えました。
亡き妻より10歳年上の女体は、亡き妻とは違う抱き心地、オマンコの味も全く違いました。
限りある夫婦は、悲しみを忘れようと、刹那の交わりに耽りました。
男と女が唇を重ね、一つになって快楽に酔い痴れれば、まして、精液をオマンコに注ぐのですから、お互いを愛し始めます。
やがて妻が還暦を迎え、超熟女の女体を愛するようになりました。
「還暦過ぎて、男の人に抱かれるとは、思ってなかったな・・・」
可愛く照れた妻でした。
そして今年、福島市へ着て12年が過ぎ、約束の同棲10年がやってきました。
妻の家がある沿岸部の町は、避難指示も解け、妻が亡き夫と暮らした家は何度か見に行きましたが、十分住める状態でした。
少しずつ生活用品を整え、今年、約束通りお別れしました。
前日の夜、最後のセックスをして、最後の射精を妻のオマンコの中でして、かりそめの夫婦最後の夜を過ごしました。
65歳の妻の女体を記憶に刻み込み、翌朝、妻の服などを車に積んで、沿岸部の町に向かいました。
妻の家に荷物を下ろし、
「それじゃあ、元気でな。」
「休んでいかないの?」
「ああ、帰りずらくなるから、俺、行くよ。」
「そう・・・それじゃあ、さよなら。元気でね。」
この先、妻が余生を過ごすのは、亡き夫との思い出が詰まった家と町です。
私は、もう、二度と来ることはないであろう、12年前まで住んでた町と内縁の妻に別れを告げ、福島市へ戻りました。
福島市は、私が生まれ、小学6年生まで育った街です。
その後、父の転勤でいわき市に引っ越して、中学卒業後は高等専門学校へ入学し、土木の勉強をして、海辺の町の建設会社へ就職しました。
父たちは、郡山市に転勤して、私は、就職先の町で亡き妻とめぐり逢い、結婚しました。
そして、震災に遭い妻を失い、原発事故からの避難先が福島市でした。
今は、幼い頃を過ごしたこの街で、独り、生きています。
亡き妻の思い出は遠く薄れて行けど、愛し合った日々は永遠です。
そして、この街には内縁の妻との思い出も・・・彼女は、元気に暮らしてるでしょうか。