東京で暮らしていたのは、もう、20年前のこと。
当時の彼女とは3年の付き合いで、そのうち同棲が1年、結婚するつもりでの同棲だった。
毎晩セックスして、お休みの日はずっと半裸で過ごし、お互いの股間を弄ったり舐めたり、勃起したらセックス再開みたいな日々になってた。
彼女にセーラ服着せて、オマンコ広げてる写真や、クリ弄ってオナニーしてる写真が残ってる。
逆に、彼女が生理の時は、俺がオナッて射精する瞬間の写真なんかも残ってる。
結婚前提の同棲だったから、あんな恥ずかしい写真撮らせたり撮ったりできてた。
同棲にたどり着いたら、それで満足しちゃって、俺の結婚願望が薄れていった。
現状に満足して、結婚の準備をしなくなった。
セックスも、愛情よりも羞恥、彼女を恥ずかしい格好にしたり、恥ずかしい姿を撮影したい欲求が勝り、そのことが彼女を苦しませていたことに気付けなかった。
彼女の荷物が少なくなっていることにさえ、全く気付かなかった。
今の季節以外の服、全部無くなってた。
ある金曜の夜、仕事から帰ったら、テーブルに置手紙、お別れの言葉が書いてあった。
上に書いたような別れの理由と、どれだけ俺の事を愛していたかと、だから耐えられなかったこととか、簡潔な文章だけど、書かれてた。
最後に、田舎へ帰ることと、そして、涙の痕…
彼女、出て行った…
彼女、仕事も辞めてた…
涙が止まらなかった。
大人なのに情けないけど、泣きじゃくってた。
あんなに泣いたのは、初めてだった。
自分の愚かさに気付いて、自分を殴ってた。
土日、何もやる気が起きなくて、ダラ~ッと過ごした。
仕事も手につかなくなって、俺も仕事を辞めた。
彼女が出て行って一月後、俺もあのアパートを出て、帰郷して暫くボーっと過ごした。
その年の12月初旬、東京のアパートから田舎の実家に転送されてきた八ガキがあった。
喪中ハガキ…彼女、亡くなってた。
生前のご厚意…と書いてあったから、家族が、アドレス帳を見て、俺がどんな関係だったかも知らずに出したのだろう。
彼女、俺のワガママで俺を振った女を演じたんだと思う。
余命宣告を受けたんだろう、俺は彼女に嫌われたんじゃなくて、俺に悲しい思いをさせたくなくて、俺の前から去ったんだと思う。
その時、今までありがとうって、心から思えた。
俺にとって、彼女と過ごした3年間は、忘れられない青春の一ページだ。
エロい写真は、全部データを削除したよ。
喪中ハガキも処分して彼女のお墓を訪ねることもしなかった。
彼女は、それを望まないからこそ、俺の前から消えたんだから。
そして、俺は前を向いた。
その後知り合った嫁に、彼女のことを話した。
嫁は、俺と一緒に泣いてくれた。
俺は、彼女を失った俺の気持ちに共感してくれた嫁とともに、人生を歩んでる。
彼女の分まで幸せにならなくちゃと思って、生きてきた。
俺は子宝にも恵まれ、幸せに生きてる。
だから、彼女の20回の命日を迎えるにあたり、ここに彼女との思い出を記す。