今では信じられないと思うけど当時は 携帯やパソコンでメールをするのは金持ちしか出来ない時代で 文通が主役の恋愛です。誰もが雑誌の文通欄を見ては手紙を出された人もいると思う。中には紹介してくれるサークルタイプの記事も多くて私も夢中になりました。文通欄に載せて、20通近い手紙が届き、たった一通だけ 目についた手紙がありました。それから文通から始まり、いつの間にかお互いに逢って見たいと思うようになり中国地方から関西当たりで デートをして来ました。明石から始まり 三ノ宮付近でショッピングをしたり 食事をしたりと毎日 楽しいばかりでした。しかし、遠距離恋愛の欠点が 交通費にお金がかかり貯金さえ減り 逢う時間さえ限られてしまいました。結局、別れる事になりましたが、これは仕方がないと あきらめました。嫌いになった訳でなく これからも寂しい時間を過ごさせる事が私にとって苦しみでした。しかも彼女の町では20代を過ぎてしまうと みんな結婚をしていて みんなから売れ残りと言う視線が出始めてしまったのも別れる原因かもしれません。別れる際に、俺は君に未練があって神戸に行くんじゃないけど、また 何処かで逢う事があれば声をかけなくてもいいから君の幸せを笑顔で見せてほしいと書きました。私は今でも 神戸が好きで たまに明石から神戸まで行きます。たまに昔を 思い出しますが いい思い出になります。しかしあの阪神淡路大地震があり 私は それ以来 あまり寝れなくなりました。元彼女の幸せな顔を見る事ができなくなったのではと言う不安からかもしれません。元気でいたなら ニックネームでいいから返事がほしいなぁ。神戸は何度 訪れても あきない町です。