吉田くん。8個上で、高校の時の先生。先生のことを【吉田くん】なんて呼んでるのも、今思えば不思議なことだよね。
-----
あれは、あたしが2年の時だったね。あたしはまだ16で吉田くんは24。すごく大人に見えた。
あの頃、学校がつまんなくて仕方なかった。学校だけじゃなくてすべてがつまんなかった。
学力重視の退屈な授業、帰っても誰もいない家、噂話や悪口しか言わない友達、身体だけが目的の彼氏…
あたしの居場所なんかどこにもなかった。
あたしは昼休みでも授業中でも、気分が乗らないといつもこっそり作った合鍵で地学室に忍び込んでプラネタリウムにいた。
当時のあたしの唯一の居場所だった。
いつものようにプラネタリウムにいたら、吉田くんが来たんだよね。
授業もとってないし、全然面識がなかった。ただ、「今年来た若い先生」ってだけ。
吉田くんは授業フケてるあたしに怒ることもしないで、『そういう時もあるって』って、それだけ言ってあとは無言だったんだっけ。
それからはよくプラネタリウムで2人過ごしたね。何を話すわけでもないんだけど、一緒にいたね。
授業時間や放課後、どうでもいい話ばっかしてたね。
あたし、なんか気を遣っていつも席1個空けて座ってた。
2学期も終わりに近づいた頃、なんとなく、隣に座ったんだ。
友達や彼氏にも言わなかった自分のことや親のこと、学校のことを吉田くんに打ち明けた。
あんまりみっともいい話じゃないけど、吉田くんに話すのは全然辛くなかったよ。
あたしの話をずーっと黙って聞いてくれていた吉田くん。
『無理して笑うなよ』
そう言われた瞬間、自分のコアな部分を突かれた気がして、涙が溢れ、止まらなかった。
きっとあの時だよ。
吉田くんのこと好きになった。
ちょうどその1週間後にあたしはあらぬ誤解から、3週間の停学処分を受けた。
学校に行けないことが初めて辛いと感じた。
本当は、プラネタリウムに行けないこと、吉田くんに会えないことが辛かった。
学校に復帰して吉田くんがあたしにかけてくれた第一声。
『ホントはやってないんだろ?』
なんでこの人はあたしのことがそこまでわかっちゃうんだろう。
学校や友達に何を思われててもよかった。吉田くんにわかってもらえればよかった。
肘置きに無造作に置かれた吉田くんの手。そっと手を伸ばしてみたら握り返してくれた。
「好き」とは言えなかった。
迷惑をかけるから。
吉田くんの傍にいられるだけで幸せだった。
吉田くんは1年契約の先生だったから、次の年からは他の高校へ行ってしまった。
すごく好きだった。だけど、告白しようとは思わなかった。
離任式の日、アドレス教えてもらった。
帰りぎわの吉田くんを窓から呼び止めて遠くから「アリガトウ」精一杯大きな声で言った。
涙が止まらなくてそれ以上何も言わなかった。
初めての吉田くんへのメールは作ってから送るのに1週間かかった。
【元気ですか?新しい学校にはもう慣れた?あたしは吉田くんがいなくなって、少し淋しいです。なんてこと言ったら、心配かけちゃうかな。あたしは大丈夫!プラネタリウムに行く回数は減って、授業も出るようになったよ。まだ詳しくは決めてないけど、受験することにした。あたし、先生になる!とりあえず、あたしのことバカだと思ってる先生を見返したいから、目指せ国立!って感じで。不純な動機だけどね。ってことで、この1年頑張るね。吉田くんもね!】
返事は大人の男、って感じのあっさりしたものだった。
メールはいつもあたしからで返信がこないこともあった。
吉田くんに宣言した国立受験、当時のあたしは誰もが認める出来の悪い生徒。偏差値でいったら、20代前半だった。そのあたしが国立大学受験するなんて言うから、学校の先生は大騒ぎだった。
志望校を確定した9月。目標偏差値まで不足40。
あたしは受験に専念するため、吉田くんへのメールをやめた。
毎日気が狂ったように勉強した。
そしてセンター試験当日の朝。会場へ向かう電車の中、メールがきた。
『お前なら大丈夫』
半年ぶりの吉田くんのメールだった。
あれから3年以上が過ぎた。
奇跡的に志望校に合格し、それと同時に地元を離れ、慌ただしい毎日の中、吉田くんとの連絡も少なくなっていった。
大学4年の冬、地元に戻り、高校の講師として働くことを伝えるために吉田くんにメールをした。
【同僚になったらよろしく!今度はプラネタリウムじゃなくて本当の星空が見たい。】
ドラマのようにうまくいくはずもなく、あたしの最初の赴任先と吉田くんの赴任先はまったく別方面だった。
慣れない仕事や本採用の試験勉強に追われる日々。学生の頃とは何もかもが違った。吉田くんのことを考える心のゆとりもなかった。
あたし達は再び音信不通状態になった。
3回目の採用試験でやっと本採用をもらえた。
その時、あたしは24歳。出会った頃の吉田くんの年になっていた。
7年の歳月はあたしの気持ちを薄れさせた。
その春、奇跡が起こった。
本採用されてからの赴任先が吉田くんのいる高校に決定した。
忘れかけていた気持ちが再びよみがえってきた。
2005年4月1日、実に7年ぶりの再会。
離任式のあの日流した哀しみの涙が喜びの涙と変わり、あたしの視界を濁す。
初めての赴任先での会議。吉田くんはとても他人行儀で。
悲しかったけど、これが現実なんだ、って受けとめた。
その日、学校から帰ろうとすると、吉田くんからのメール。
心臓のドキドキが止まらなかった。
『裏門に車つけてるから』
ただそれだけ書いてあった。
裏門へ行ってみると、そこには吉田くんがいた。
エスコートされ、車に乗ると、リアシートから花束が出てきて、『よく頑張ったな、おめでとう』そう言ってあたしに渡した。
吉田くんのその声も笑顔も何も変わっていなかった。あの日、あたしが好きになった吉田くんのままだった。
あたしがいつか、プラネタリウムで吉田くんに言った言葉「人生で1回でいいから、大きな花束もらいたい」それを覚えていてくれた。
照れ臭くて、「吉田くん、キザすぎるよ」なんて笑っちゃった。
それから、車を走らせる。
目的地に着く頃には辺りは真っ暗になっていた。
そこは街灯が一つもないような山の中。
車を降りてハッとした。
満天の星空。
今なら言える、自分の気持ちを伝えようとしたその時、吉田くんに抱き締められた。
『逢いたかった』
吉田くんの背中に手を回し、「好きだよ」震える声で精一杯伝えた。
星空の下、手をつないで7年間のお互いのことを話した。
吉田くんはあたしが自分と同じ立場になるのをずっと待っていてくれた。
先生になる!メールでのそんなちいさなあたしの言ったことをずっと信じて、あたしなら大丈夫、ってずっと信じていてくれた。
“先生と生徒”から“同僚”、“恋人”になり、半年が経とうとしています。
恋人としての歳月はまだ短いけれど、あたしをどんな時もどんな長い間でも信じてくれていた吉田くんのことを心から愛してます。そして、来年、結婚します!