四半世紀以上も前、M大学文学部に合格して田舎から上京した私は、杉並区和泉のアパートで一人暮らしを始めました。
当時、男女を問わず学生が住むようなアパートにはお風呂がなく、卒業まで近所の銭湯に四年間通いました。
アパートの近くにあった三軒の銭湯はいずれも番台形式で、一番遠い店を除いて番台には時間帯を問わず、大抵は男の人が座っていました。
引っ越しの後片付けが終わり、初めて銭湯の暖簾をくぐった日、番台に座っている男の人に感じた「イヤだー」という拒否反応は徐々に薄まっていきましたが、最後まで抵抗感は残りました。
脱衣場では、入り口からなるべく遠い場所にロッカーを選び、番台に背中を向けて服を脱ぐようにしていました。
特にパンティを脱いだ後は、上体を屈めないよう気を付けました。
裸のお尻を番台に向けているので、うっかり上体を屈めようものなら、陰部を番台の男の人の目に晒してしまう危険性があったからです。
洗い場から出るときは、番台から裸を見られないように、胸から下をタオルで隠しました。
でも、お客さんの中には、全裸で前も隠さず正面を向いて番台の男の人と言葉を交わしている人や、上体を深く折り曲げて陰部が丸見えになっている人をよく見かけました。
番台の男の人は、一体どんなエッチな思いでその光景を眺めていたのでしょうか?
洗い場から出たとき、番台に座っている男の人と目が合うことも時々ありました。
また、番台の男の人が掃除のために脱衣場に降りてきたり、洗い場に入ってきたりすることも珍しくはありませんでした。
アパートから二番目に近い店は、経営者でかなり年輩の男の人と女将さんが交代で番台に座っていました。
裸になるとき余り緊張しなくて済むので、行きつけにしていたのですが、それでもある日のことです。
脱衣場で下着姿になったとき、モップで床の拭き掃除をしていたその男の人が、私の側まで来ると手を止めました。
私が洗い場に行くのを待って、足下の床を拭きたい様子でした。
老人とはいえ、自分のすぐ横に立っている男の人の目の前で裸になるのです。
恥ずかしさにカラダが強張ってくるのを感じながら、ブラを取りパンティを脱いでロッカーに納めました。
陰部が見えたしまうのを恐れ、上体を屈めず足も極力上げなかったので、パンティが脱ぎにくかったことを覚えています。
行きつけの店が休みの日に利用していた店―そこは、生まれて初めて利用した銭湯でした―の洗い場では、一番奥のカランでカラダを洗って立ち上がったときボイラー室に通じる扉が開いて、経営者の男の人が突然入ってきました。
先代とおぼしき年輩の男の人と番台を交代するために女湯を経由して行ったのですが、全裸の私は胸から下をタオルで隠す間もないまま、経営者の男の人と至近距離で真正面から向き合う羽目になってしまいました。
私はヘアが薄い上に、ラビアの一部がはみ出して垂れ下がっているのです。
その人の視線は、どうやら私の下腹部に注がれているようでした。
本当は手で隠したかったのですが、そんな真似をすると相手を異性として意識していることになると考え、そのままで必死に耐えました。
その人は私の横をすり抜けると、脱衣場の方に行ってしまいました。
ほんの僅かな時間だったのでしょうが、私にはとても長く感じられました。
裸を見られても仕方のない銭湯での出来事とはいえ、彼氏でも産婦人科医でもない中年の男の人の目に、正面からの全裸ばかりかラビアの一部まで至近距離で晒してしまったのです。
その人の脳裏に自分のあられもない姿と恥ずかしい部分が深く刻まれたのかと想像すると、気恥ずかしさを通り越して屈辱感さえ覚えました。
(その2に続く)