研修生制度って知っている人いるかな。実は俺もあまり詳しくはないんだけど、発展途上の国の若者が、技術研修ということで1年~3年くらい日本の工場等で勤めて技術を磨いて&貯金して、そして祖国に帰っていくっていうシステムがあるんだ。国際的な何かで日本とその国との間に取り決めがあるんだって、
日本は日本で安い労働者を雇えるというメリット。発展途上国では、若者に技術を身につけさせ国でその技術を生かせれるというメリット。それくらいしか俺は知らないが。
俺(当時30)は近畿地方にある、ある有名な工業地帯で消防設備を作っている工場で働いていた。毎日、毎晩とまったく同じ時間。同じルートで仕事場を往復するものだから、通勤途中に変な奴がいたらすぐ目に留まるのは不思議ではなかった。
その肌の茶褐色の外国人の女の子は俺が工場へ向かう朝の7時45分。俺の家の近くの公園でボーっとしていた。俺と同じように作業着きてたから(外国からきた研修生か)って何の気にもとめなかったんだけど、翌日も、また翌日も同じ時間に公園のベンチに座ってボーっとしているんだよね。
3日も連続で朝に同じ場所にいるものだから、俺もちょっと気になって、あえて4日目のその日は缶コーヒーをもって、朝の一服をその公園でやってみようと思ったんだ。
というか、その謎の少女が気になったというか、近くで見てやろう。ってなもんだ。好奇心こそあれ下心があった訳ではない。
俺は女の子が座るベンチのとなりのベンチに座り、缶コーヒーをカチっと開けてタバコを吸った。まぁ家でやっている朝の儀式を公園でやっただけなんだけど。
近くで見ると南方系の人種に見えた。遠くでみたとおり肌は茶褐色。顔は目が大きくて可愛らしい。でも髪の毛はボサボサしてて薄汚れた作業着というのがあって、少なくとも「キレイ」ではなかった。
俺は気さくな関西人を演じて「おはよ。今から仕事?」なんて気軽に挨拶してみた。すると彼女は「やすみです」と答えてきた。仕事ですって答えてくるなら「がんばって」で終わったのだが、平日のこの時間にやすみってどういうことだ?と思った。
では昨日もその前もその前も、ずっと休みでボーっとしていたのか?それならそれで、何か怖い。
俺は会話を続けようと「研修生だよね」と続けていった。すると彼女は「はい」と答えた。日本語はあまり上手ではないらしい。
そして、「どこからきたの?」との問いには、「ミャンマー」と答えた。「何歳?」との答えには「21」歳と答えた。そして「どこで働いてるの?」との問いには「仕事やめた」との返事だったのだ。
おいおい。研修生が仕事やめたら、就労ビザの条件を失うので即刻、退去だろ。と思った。この子、もしかして怪しい奴?と思った。
俺は「やめた?なんでまた。せっかく(日本)来たのに」と聞くと、「いじめられる。先輩いつも怖い」と言ってきたのだった。
俺はハッ・・・と我に返った。この子は怪しい子なんじゃなくて、本当に困っている子なんだ。と。
俺も聞いたことがある。男ではあるが、インドネシアや中国からの研修生が、職場で先輩にいじめられて脱走したりするケースがあるということを。(なぜなら俺の職場からも脱走した外国人研修生が過去にいたから)
仕事がいやになった。イコール、寮からも脱走してきているに違いない。そして寮のほうでは大騒ぎになって、色々捜索もしているだろうが、それが余計に帰りづらくなって、こうしてフラフラとしているのだろう。無言の助けを求めながら。と思った。
そして俺は聞いてみた。「もしかして、今、家に帰ってない状態?」と。すると彼女は答えた「はい。駐車場の裏で寝ています」と。。。
「ちゃんと食べてる?」との問いには、「お金は少しある。コンビニでご飯かってる」と返事をしてきた。
(これ、あかんやつやんwww)と思った。
俺はその女の子が、ちゃんと風呂はいってキレイな服きて、髪の毛もトリートメントしてメイクもすれば、立派に可愛くなる素養の持っている子だとの思いもあり、こんなところで駐車場生活、コンビニ弁当などを食わしてフラフラさせているのは、物騒な世の中、この子の為に良くない。と思った。
俺はその日、仕事を休みの連絡を入れ、「わかった。僕も近くの工場で仕事してる人なんだけど、なんだかキミ、困ってるみたいだから力になるよ」と彼女に言った。すると彼女は本当に困っていたのだろう。俺の返事に対し、「ありがとございます・・・・・」と目からボロボロ涙を流して感謝の意を述べてきたんだ。
その純粋な大粒の涙に俺は、(できる事はやってあげよう。これが男としても社会人としても義務だ)と思った。なんか成長してるじゃん俺。とか自分で自分をほめていた。
そして俺はその女の子を庇護し、とりあえず家へと連れていった。2DKのけして広くない部屋ではあるが、生活ができる環境に入った彼女は安堵したのか、先ほどとは表情が変わっていた。
そして俺は彼女に食事を与え、風呂を与え、作業着は洗濯してあげ、洗濯している間は俺のジャージを貸してあげ、あらゆる手をつくして彼女の困難を解決するサポートをした。一切の下心なく。だ。
そして俺は彼女を説得し、工場に一緒に謝りにいってあげると、なんとその会社は偶然にも俺の会社の下請け会社というのもあって、元受け会社の社員の俺が、彼女を庇護してちゃんと会社に連絡を取らせるようにおぜん立てしたことで、会社も彼女に怒ったり怒鳴ったりする事もなく、むしろご迷惑をおかけして申し訳ありません。という始末だった。
よし。いいことした。
と俺は自己満足をしていたが、そのミャンマー人の彼女は、非常に義理堅く、、毎週休みの前の金曜日に、色々食べ物を作って持ってきてくれたり、俺がため込んでいた洗濯物を洗ってくれたり、なんだかよくわからんが、金曜日だけの通い妻のような状態になっていった。
そうなると、俺も俺で金曜日はこのミャンマーのシャン族であるスーの為に予定を開けておく事が多くなり、毎週金曜日になれば、どこかに車で買い物に連れていったり、たまにはデートスポットにドライブに行ったりする関係が構築されていった。
なぜこんな関係になったのか俺もわからないが、不思議とこのスーは、俺に対しての接近が何か裏があっての接近ではなく、どこまでも俺に対する穢れのない感謝の気持ちからくる行動であるから。というのが伝わっていたんだと思う。
だからといって俺は聖者ではなかった。もちろん性欲もあるしヨコシマな事も考える一介の男である。盛りのついた男である。
しかし、俺は当時、ミャンマー人が、「想像を絶するくらいの奥手」「鬼恥ずかしがりや」「超性的発展途上国」というのを知らなかった。
そんな俺は、ちょっとした冗談で、スーの胸をタッチしてしまい、それが怒涛の波乱の幕開けとなっていくことを何も知らなかった。