私(43)は、もともと三国志から始まり中国思想というものが好きで、下手の横好きとでもいうのでしょうか、中学くらいの頃から調子にのって、史記、春秋、大学、淮南子、老子、論語、韓非子などの古典を読んでいました。
そんな少年、青年時代を過ごしたものだから、中国とは切っても切り離せない人生となってしまい、私は10年位前から、テンセントQQという、中国版フェイスブックのようなものに登録し、中国人を相手にチャットで日本語を教える。という事を趣味に生きていました。
そして8年前、何人かネットで知り合った中国人が留学や、研修で来日した際に世話をしたときに、その中国人から、「武村さんは、本当に日本語を教えるのが上手ね。先生になったらいいのに」と言われることが多くあったのです。
そして私は(日本語の先生か・・)と真剣に考えるようになり、私の家の近所の小学校で、夜の19:00からの1時間。日本に在住している(近所の)外国人相手に無料で日本語を教える。というボランティア活動があるこを知ったのです。
もともと、中国人をはじめ外国人と話す事や、日本語を教える事に抵抗のなかった私は、そのボランティア活動に応募し、そして教員資格も持っていないのにもかかわらず、外国人からは「先生」と呼ばれる身分となってしまったのでした。
しかし、私はボランティア活動は本業の仕事の関係で1年しか継続する事が出来ず、結果としてはボランティア活動はやめてしまったのですが、その実際に「人に教える」という1年間のボランティア活動で培った経験を活かし、ますますネットを通じての活動に精を尽くしたのでした。
すると、いつしか中国人を中心に、「日本に行けば、武村先生のとことに行けばいい」というような噂が広まってしまい、私の自宅には頻繁に外国人留学生がショートステイしていく。という流れになったのです。今で言う、シェアハウスの前身のような姿だったかもしれません。
私はそれから中国人からブラジル人、ベトナム人、タイ人等の、日本に留学に来ている学生(今で言う、コンビニでよく見かける外国人店員)を、無料で家に泊らせてあげる(といっても限度があるので、来日したばかりの留学生が日本での生活に慣れるまで)という個人ボランティア活動をしていたのですが、前置き長くなりましたが今回お話させて頂くのはその時の話です。
当時、30代中盤だった私は、ある意味、共感頂ける方もいらっしゃるかもしれませんが、「性的ピーク」の時代でした。まことこの時代は不思議なもので、蝋燭の燃え盛る最後のひと燃えなのか、中学生時代、高校時代とはまた違う、性的欲求に駆られる年代でもあります。
そんな頃に私は、外国人留学生、年齢で言えば18歳~28歳の間の男女を、「ある程度知っているだけで」気軽に家に住まわせ、短い子では2日間、長い子では2か月という期間、無料ホームステイの場として私の(既に他界した)親から譲ってもらった持ち家を提供していたのです。
もちろん、こうして記事にしている以上、その中の留学生と体の関係を持つことも多々あり、そのお話を今回させていただく予定です。
まずはまえがき。という事でいったん投稿致します。